プロローグ

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 涙で顔をクシャクシャにした香美が訪れたのは渋谷の繁華街。三年間付き合ってきた彼氏に捨てられた悲しみを癒すには、酒しかない。 適当に目についた赤提灯に入り、浴びるように酒の海へと溺れていく…… 天辺を迎え、すっかり酔い潰れた香美は赤提灯の店長に体を揺すられ起こしにかかられる。 「お客さん? お客さん? もう看板ですよ? タクシー呼びましょうか?」 香美は酒が全身に回り鉛のように重い体を起こすと、店長に抱きつき号泣を始めた。 「うあああああーん! あたし、29歳で彼氏に捨てられたあああああああーっ! アラサーで放流(リリース)されてこれからどうしたらいいのよおおおおーっ!」 おう、よしよし。店長は香美の頭を優しく撫でた。この手の自棄酒の客が来ることは珍しくない。赤提灯の店長として適切な対応を(おこな)う。 「まぁまぁ、落ち着いて。とりあえずお冷飲んで落ち着いて」 香美は冷水を一気にグイと呷った。酒で温まっていた体が冷え、僅かに落ち着きを取り戻す。 「お客さん。辛いかもしれないけど、がんばんなきゃ駄目だよ? 生きてさえいれば絶対にいいことあるから?」と、店長。しかし、その慰めの言葉も香美には届かない。 「あたしぃ! アラサーよぉ! もう来年三十歳よ! 二十代のうちに貰ってくれるって信じてたのに! 裏切りもいいとこじゃない!」 「ま、まぁ…… 今は晩婚化の時代ですから…… 三十代での結婚も普通ですし……」 「うるさいッ! こんなこと言ってたら! あーっと言う間にアラフォー! アラフィフになるんだからね!? 三十路(みそじ)過ぎると急に時の流れが早くなるのよ! あたしだってお局様の道を驀地(まっしぐら)よ! 友達はみんな結婚! 家の皿とかカトラリーセットも全部引出物! あたしの家の食器は結婚する皆様に支えられておりまぁす! 写真皿はフリスビー! 純銀のカトラリーも魔除けの効果なし! 間男ならぬ魔の男と書いて魔男に好きにさせてたんだからね! 大体純銀のカトラリーって何? 貴族のつもり? 見栄張ってるの!?」 もう、この人は酒が頭に回っていて冷静ではない。何を言っても無駄だ。 ここで急性アルコール中毒で倒れられても迷惑でしかない。最悪の場合、営業停止処分を食らってしまう。可哀想ではあるが、香美は追い出されるのであった。 「お客さん? 家どこ?」 「へへへぇ、三茶~(三軒茶屋)」 「はいはい! もうすぐ終電ですよ! 早く出ないと終わっちゃいますよ!」
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