序章。

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「はぁ…はぁ……」  息を切らしながら少女は立ち尽くしていた。  肩に掛かるぐらいの紅葉のような赤色の髪を後ろに束ねた髪に尖った耳、湿地帯に生える木のような肌色の彼女の名はピノット・ノイヤー。  彼女の手には弓があり、身体には利き腕じゃない方の肩と胸に革で出来た当てを着けている。  彼女の周りにも似たような装備の成人男女が同じように立ち尽くしていた。  ルボン山脈の近くにある牧場フロンタ。  農業と畜産で生計を立てているこの牧場だが時折それを狙った魔物がやってくる。  でもくるといっても小物ばかりなのでピノットを中心とした迎撃部隊で事足りていた。  その証拠にピノット達の前方で小物である薄緑色の肌を持つ小鬼ゴブリンが数体、矢を受けた姿で倒れている。  向こうはしつこいが諦めも早い。  これだけ倒せばいつもの彼らなら尻尾を巻いて逃げ出した。  …だが、今回は違った。 『ウオォオォォ!』  耳を防ぎたくなるような雄叫びと地響きのような足音と共に感じる振動。  成人男性の3倍はあるかもしれない身長と大岩のような体格をした薄茶色の肌色と頭に生えた小さな2本の角。  そう、その日ピノット達の前に大鬼オーガが現れたのだ。  オーガの筋肉の前にはピノット達の弓矢など無力で貫くことができない。  手に持った棍棒で一振りすれば忽ち丸太で作ったバリケードは破られ地面に叩きつけた衝撃で近くにいた人々は小石のように吹き飛ばされた。  もはや自分達ではオーガを倒すことは不可能だと思い知らされた。  しかし、ピノット達が動きを止めて立ち尽くしていたのは敗北感による諦めからではない。  牧場を守る為なら命懸けもしようとする強く揺るがない信念があるからだ。  そしてピノット達はオーガを見てるわけではないではなかった。  彼女達の視線が向かう先には自分とオーガの間にいる一人の男に向けられていた。  いや、“一人”という表現はおかしいかもしれない。  なぜなら彼は人間ではない。  ピノットもウッドエルフと呼ばれる種族だが彼はのだ。  独特な腕輪と腰布に挿した見たことのない反った形状の鞘に納められた剣以外彼は何も身につけてはいない。  彼の全身は胸から下腹部までの内側が白桃色、外側は焦げ茶色の鱗を纏い長く揺れる尻尾。  4本指の先には鋭い爪を持った手に切れ長に透き通るようなルビー色の瞳をした蜥蜴(とかげ)の頭。  大陸全般の1つ達は皆口を揃えて彼をこう呼ぶ。  蜥蜴人(リザードマン)と……。  彼以外にもリザードマンは他にいた。  大柄でゴブリンをほぼ一撃で殴り飛ばしている赤黒色の者。  細身で木と天然のゴムで作ったスリングショットと石の短剣を駆使して戦う砂色の者。  さらに彼らの後方で魔法を使って怪我した者を治療している白色のおそらく女性の者と合わせて4体のリザードマンが今ピノット達の周りで戦ってくれている。  改めてピノットはオーガと対峙している彼に視線を集中させる。  彼は一度大声で呼び掛けてみせたので知性の低いオーガは相手に向かって威嚇の雄叫びを浴びせた。  彼を通り過ぎてやってきた雄叫びにピノット達の中では耳を塞いだり尻餅を着く者が出る。  だが間近で聞いたリザードマンはまるで聞こえていないかのように微動だにしない。  すると、雄叫びが終わってから彼は左手を剣の鞘に手をかける。  どんな剣を抜くかとピノットは察したが次の動きに疑問視した。  リザードマンは剣を抜かず上体を剣のある方に軽く捻って身を低くしそこで止まり瞼も閉じてみせたのだ。  その動きにオーガは一度首を傾げるも棍棒を持った手を振り上げる。 「何やってんのあんた!早く剣を抜きなさいよ!」  それでも剣を抜かないリザードマンにピノットはたまらず叫ぶも彼は決して動かない。  このままではあの棍棒に叩き潰されてしまう。例え避けても衝撃で飛ばされるのは明白だ。 「くそ!」  ピノットはなんとか止めようと弓に矢をかけて引く。  狙うはオーガの顔だが疲弊した腕では上手く狙いが定まらない。  しかし、ピノットはその時に気づいて弓を引く力を緩める。  長いこと戦いを経験している彼女だけが、彼が止まっている理由を理解出来た。  彼は動かないでも動けないのでもない。  彼は、この状況でとてつもなく集中しているのだと。  それも次に放つ攻撃でオーガを確実に倒すと言わんばかりに集中しているのだと。  オーガは一切動く気配のないリザードマンに向かって力の限り棍棒を振り下ろす。  頭上から迫ってくる脅威にリザードマンは静かに呟く。 「【七天八鬼(しちてんはっき)流・居合の型】…。」  刹那の瞬間だった。  棍棒が地面を揺らし土煙が舞い上がる中を抜けてピノット達の視界にはリザードマンが既にオーガの額あたりまで跳躍していた。  そしていつの間にか抜いた細身で片刃の剣を落下の勢いをつけた斬り下ろしでオーガの顔を斬ってみせる。  そのまま着地する時、まるで一緒に断ち斬ったかのように土煙も吹き飛ばす。  確かな手応えがあったのか片膝を着いた態勢のリザードマンは剣に付いた血を払い落とすように上から下へと一度振り素早くカチンと響きよい音を立てて鞘に納めてみせる。  直後、オーガの顔から血飛沫が上がった。  ピノット達はその血飛沫を見て驚いた。  筋肉の鎧を纏うオーガの弱点として顔があるのだがそれでも皮膚は固く並以下の武器では食い込みもせず弾かれてしまう。  それを容易く斬ってみせたリザードマンの剣と腕前は間違いなく強いとピノットは判断する。  だがさらに彼女達を驚かせたことがある。  倒れる前に先ほど落下の勢いを付けた斬り下ろしで作った傷の他にオーガの顔には右斜めに深く斬った傷が出来ていたのが見えたからだ。 (い、一体、いつ…!?)  ピノットがそう思うとすぐにはっと1つの可能性がひらめつく。  オーガが棍棒を振り下ろした時にはリザードマンはすでに剣を抜いていた。  つまり、その時点でリザードマンはオーガの顔に一撃食らわしていたのだ。  眼には自信があるウッドエルフの自分にですら見えない速さで剣を抜いて斬ったことにピノットだけ3度驚いた。  ドズンと地響きを立てて倒れるオーガを前にリザードマンは少し様子を見てからピノット達の方に歩いてきて全員を見渡すように首を動かしてから言う。 「皆の者、無事であるか?鬼は拙者が討ち取った。」  その一言で時が止まってしまったかのように固まっていた人々から喜びの歓声が上がった。
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