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ーー…わしが人間として最後に覚えていたのは独房に差す月の光の中で自分は正座をして瞑想していた。
『…もし、もし、聞こえますか?異世界の者よ。』
その時に聞こえてきた女性の呼びかけについにあの世からの使いが来たのかと悟った。
しかし向こうは言った。
『どうか、あなたの力をこちらの世界で使っていただけないでしょうか。』
頭の中に直接言われたような感じで御願いしてきた女性の言葉に最初全く意味がわからなかった。
自分はもう齢90を越える老人。
さらに今いる場所は刑務所の独房の中。
そんな自分に一体何の為に力を使えというのか。
頭に直接響くように聞こえてきた声に自分も心の声で返してみることにした。
(何故わしの力が今必要なのだ?)
『あなたのこれまでの偉功、歩んできた人生、そして類い希なる剣の腕が今こちらに必要なのです。どうか、願いを聞き入れてくださいませんか?』
返ってきた声には真剣な気持ちと悲痛な想いが込められていた。
それが自分の中にくすぶっていた正義感に火を点ける。
彼女の願いが悪いことの為では決してなく誰かを助ける為の願いだと感じたからだ。
元から困っている人を見ると誰であろうと声をかけて助ける性分ではあった。
だからこそこの老い先僅かな自分が最後の最後に何か役に立てるならばと意を決し軽く頷いて返した。
(そなたの願い、承知した。わしの力がまだ役に立てる場所があるならば参ろうぞ。)
『ありがとうございます。では参りましょう。我々の世界へ…。』
相手からそう言った直後、自分の身体が一瞬浮遊感を得ればそこで一旦意識が途切れた。
*
意識が戻ってきた時、最初に聞こえてきたのは鳥のさえずりであった。
わしは瞼を薄く開けて見れば次に感じたのは木漏れ日。
眩しいと感じながら自分が今外にいることは確認出来た。
テレビとか孫の持ってくる漫画であった瞬間移動が体験出来たのかと考えるが全身にくる気だるさに身体がおもうように動かせない。
なんとか眩しさを遮るように右腕に精一杯力を入れて動かし右手を顔の前へと動かした時だった。
(これ、は…!)
ぼやけた視界に入ってきたのは焦げ茶色もの。
いや、太い4本の指に、先は鏃のように鋭い爪があり上腕まで焦げ茶色の鱗がびっしりと綺麗に並んでいるかのように張りついる手だった。
これは自分の手なのか?
だとしたら自分は一体何になってしまったのか。
様々な思いと考えが浮かぶも強い気だるさに再び意識が途切れそうになり上げていた手を下ろしてしまう。
「祭…長様!……ぜここに…!」
「見て!あそこ……急いで……!」
遠くから聞こえてくる男性と若い女性の声に顔を向けることも出来ずそのまま再び眠るようにわしは意識を手放してしまった。
3度目の目覚めはパチパチと鳴る焚き火によってだった。
今度ははっきりと意識が回復し瞼を開く。
まず視界に入ってきたのは木漏れ日から一転して昔ながらの藁で出来た天井だった。
次に左右を見れば壁や床は木造であり草で作った敷物や焚き火のある囲炉裏もどきとしっかりとした家の中にいることを理解出来た。
「んん…。」
まだ気だるさが残る身体に力を入れて上体を起こせば改めて自分の手腕を見る。
やはり先ほど見たのと同じ鱗で覆われた腕であることを確認すれば握ったり離したりして自分の手腕だと再確認してから見回した時に見つけた大きな水瓶に向かい中をのぞき込んで水面に映る自分の顔を見た。
一言で言うと大きな蜥蜴がこちらを見ていた。
だがこの容姿に見覚えがあった。
夏休みなどに家へ遊びに来てくれた孫達がやっていたテレビゲームと呼ばれる遊びの中で出てきた人ほどの大きさでしかも2本脚で立つ生き物。
確かリザードマンと呼ばれる者によく似ていた。
そしてわしは察した。
自分は今、そのリザードマンになっているのだと…。
察してから次に浮かんだのは何故人間としてではなかったのかだった。
ここはもう自分がいた世界とは違う俗に言う異世界というものならば何故人間からリザードマンという名前と容姿くらいしか知識がない姿へと変えたのか。
そこであの時言われたことを思い出す。
あの女性の声はこの世界に自分が必要だと言った。
もし自分を必要としているのがリザードマンであり人間の身体では不都合なことであるから自分をリザードマンに変えた。
となれば今自分がいるこの家の主が自分をこの世界に呼んだ張本人の可能性がある。
腕を組み1人で深く思考してから今後の方針を決める。
(…うむ、まずはここの家主から話を聞き、出来ることなら事情を聞くこと。)
方針を決めて軽く頷いてすぐハッと戸の代わりである草で編んだのれんの方にわしは振り向く。
ペタ、ペタっと、こちらへ向かって歩いてくるヒトとは異なる足音に警戒して身構える。
素直に話し合える相手ならばまだしも違うならば申し訳ないが打ち倒してでも話を聞き出すことになるからだ。
そしてのれんの前で足音が止まるとずらすように横へのけて相手が現れる。
現れたのは同じリザードマンであった。
全身白色の鱗を纏い首のオレンジ色のケープと首飾り以外は身につけるものはなく手には木の容器が乗ったお盆を持っている。
「あ!目覚めましたか!よかったぁ…。」
声色からしてもしかすると女性かもしれない白リザードマンは安心したような笑みを浮かべてからすぐに表情を切り替えて言う。
「村長を呼んできますのでどうぞこれでも食べながらお待ちください。」
お盆を床に置くと白リザードマンは駆け足で部屋を後にしていった。
質問する暇もなく去ってしまった相手にわしは苦笑いしながらとりあえず何を持ってきてくれたのだろうかと木の容器の中を覗き込んだ。
(これは……魚?)
恐らく川魚の部類だろう。
顔つきは鮭みたいだが細長く、表面は少し緑がかったような色をしている。
だが問題がある。
その魚はまだ口とエラ、さらに尾ひれを動かして生きているのだ。
つまり採ってきたばかりの生魚が普通に木の容器に2匹ほど入っていたのである。
(まさか……生で食べろというのか!?)
目の前の魚を見つめながらわしは思うと腕を組んで考える。
ある意味新鮮なのはいいことだがこれがリザードマンと呼ばれる者の主食なのだろうか?
だとしたら相当歯と胃腸が強いのだろうなと感心してしまう。
だが自分はついさっき転生したばかりの元人間。
いきなり食文化を変えるなんてことは無理なのでさすがに川魚を生で食べる気にはなれない。
(ここは仕方ない、囲炉裏もあるし焼いていただくとしよう。)
ちょうど囲炉裏もどきの焚き火もあるのでまずは端に積まれている焚き木の中から比較的細長い物を探す。
その枝の表面に鏃のように鋭い爪を持つ親指を走らせる。
見た目から案の定易々と木を削ってみせたのでそのまま手早く先を細くしたものを2本作る。
次に川魚の腹をまた爪で裂き開かせ内臓を取り出すと先ほどの枝を口から入れて串刺しにすれば左右の手に持って囲炉裏の焚き火にかざした。
しばらくして炎と熱気によって川魚の表面が焼かれ小さな音と共に香ばしい匂いが鼻をくすぐってくれば指先で枝を回して裏返し反対の面も焼いていた時だった。
「まあ!何をしているのですか!?」
村長を呼んできたであろう先ほどの白リザードマンが入ってきて拙者が魚を焼いている様子に声を上げる。
「いくら口に合わなかったからって、魚を燃やすなんて命をなんだと思っているのですか!?」
「ああいや、これは…。」
「貴様!祭祀長が自ら持ってきた魚を燃やすとは不届き者め!」
さらに白リザードマンの後ろから外側は茶色内側が黄緑色の鱗を持ち頭に刺青のような赤い模様があるリザードマンも現れ共に怒ってきた。
2体の反応からしてやはりここのリザードマンは魚を生で食べているんだなと理解した。
「…何かいい匂いがするのぉ。」
そこへ明らかに老人の声らしい言葉に2人のリザードマンが口を止めて振り返ると今度は長く白い顎髭と眉毛に左手で杖を着いた薄黄緑色一色のリザードマンが現れた。
その風体からわしはこの老リザードマンが村長であろうと判断した。
老リザードマンは2体の間を抜けて自分の前に歩み寄ると言う。
「お若いの。わしゃこの通りの年寄りでな。目が悪くなっているが代わりに鼻が利いてる。お前さんから美味しそうな匂いがするのじゃが何を作っているのじゃ?」
「これは焼き魚と呼ばれるものです。ぜひ食べてみてくだされ。」
自分用にと焼いた魚の串を村長の杖の握っていない右手に握らせてあげながら伝えてみる。
村長は受け取った串に一度匂いを嗅いでからパクリと一口で半分ほど口に入れた。
「村長!?燃やした魚ですぞ!?」
茶色リザードマンが驚いて言う中、やはり村長だった彼は口を動かしてから目を見開いて言った。
「これは…美味い!表面はパリッとしているのに中はフワッとした身がある!しかも温かくて柔らかく、わしでも食べやすいぞ!」
「ええ!?」
焼き魚を美味いという村長に2体は信じられないとばかりに驚いてみせる。
その驚きぶりを見て、いかに生魚で食べることが相手側にとっては常識だったのだろうと感じた。
というか囲炉裏もどきもあるのに誰もその発想にいかなかったのだろうかとわしは不思議にも思ってしまった。
「ほれ、戦士長も食べてみなされ。」
半分食べた焼き魚を差し出してきた村長に戦士長と呼ばれる茶色リザードマンは半信半疑で受け取って残りを一口で食べきる。
彼は口を数回動かしてから先ほどの村長と同じ反応をしてまた驚いてみせた。
村長と戦士長の反応に白リザードマンも気になって尻尾を落ち着きなく揺らすのを見てわしは微笑んで言った。
「そなたも食べてみなさい。今焼くから。」
「え、あ、はい…。」
返事を聞いてから残りの一匹も焼いて白リザードマンに渡す。
焼きたてだったので一度口にくわえてからすぐ離すと数回息を吹きかけて冷ましてから焼き魚の腹あたりをかじって食べると瞳を輝かせながら舌鼓を打つ。
「素晴らしいものをありがとうの若き蜥蜴よ。改めて、わしは村長のシーガル。こっちが戦士長のニッカと祭祀長のリープじゃ。」
「わしは…。」
村長シーガルの紹介に自分も名乗ろうとしたがそこで口が止まる。
この世界がゲームや漫画でいうファンタジーと呼ばれる洋風の世界観ならば皆が横文字の名前なはず。
となれば元人間のしかも日本人の名前を出してはこのリザードマン達から変に怪しまれないだろうか。
何かよい横文字の名前はないかとつい自分の癖である左手を額に添えてうーんと考えてしまう。
しかしその癖がとんだ偶然を呼んだのである。
「…あなたもしかして、記憶がないの?」
「え…?」
祭祀長リープから言われたことにわしはこの場を乗り切る一計をひらめいた。
「何?お前さん自分の名前がわからんのか?」
「あ、ああ…実は思い出せない。拙者は、何者だろうか…?」
あまり嘘は言いたくないが今はこの場を乗り切る為には仕方ないとわしは心の中で自分に言い聞かせた。
「記憶がないだと?では先ほどの燃やした魚はどうして出来たのだ?」
「ふむ、それは“身体の記憶”というものじゃろう。」
戦士長の問いかけにわしが答えに悩むより先に村長が答えてくれた。
「身体の、記憶?」
「記憶というのは2つあるのじゃ。名前や地名など言葉になる心の記憶と戦いや狩猟などで身体に得たり染み付いた技術や直感に繋がる身体の記憶。記憶喪失の大半はどちらも忘れてしまうものじゃが、時折身体の記憶は残ることがあるらしいぞ。」
年寄りの知識にニッカとリープは感心して頷いた。
「ちょうどよい若き蜥蜴よ。もしかしたら村の中に知ってる者がいるかもしれぬ。案内がてら探そうではないか。」
どうやら焼き魚によって打ち解けてもらったのであろうシーガルの言葉にわしは申し訳なく思いつつありがとうございますと感謝を伝えた。
運ばれてきたというより転生したばかりの自分を知る者がいるかもしれないなんてあり得ない話だからだ。
「ついてくるがよい若き蜥蜴よ。」
とりあえずシーガルに言われるままわしはいよいよ建物を出た。
外に出て見えたのはまさに部族の生活であった。
自分がいた建物は川の上にあり橋が枝分かれするようにして他の建物に繋がっていて最終的に河岸へと通っていた。
その河岸で焚き火を中心に様々な色の鱗を纏ったリザードマン達が生活していた。
「ここは…。」
「ここは流れ蜥蜴が行き着く最後の集落、ロスヴァスじゃ。」
「ロスヴァス…。」
「ほれ、突っ立ってないでお前さんの知り合いを探してみようぞ。ニッカ、リープ、後は頼んだ。」
「わかりました。」
村長シーガルに言われたニッカとリープの2体に案内がてらわしはいるはずのない顔見知りを探すことになった。
ニッカの話によればこの村は他の部族から追い出されたり逃げ出した者達が集まって出来た集落のような場所らしく村のルールに来る者拒まず、去る者追わずという暗黙のものがあるらしい。
さらに村には村長以外に3つの長がある。
村を守る為に戦うニッカが担っている戦士長。
村の祀り事や傷病を治療するリープが担っている祭祀長。
そして村の食料を調達する狩猟長がある。
道案内がてら2体の説明を聞いてしっかりとした社会が築かれているのだと理解出来た。
案内される中でニッカとリープは村長の言いつけ通り自分の顔見知りがいないか探してくれた。
しかし、元人間である自分にリザードマンの顔見知りなどいるわけないので結果は当然誰も知らないで終わり、村を1周してから先ほどの家に戻って村長に報告した。
「そうか、誰も知らなかったか。」
「はい、協力してくれた皆さんには申し訳ございません。」
「気にするでない。それで若き蜥蜴よ。お前さんここに住むかい?」
村長の提案にわしは考える。
あの謎の声に導かれリザードマンとしてここにきた。
それを踏まえて考えると声の主が救って欲しいのはやはり彼らリザードマンのことではないか。
だから自分を人間からリザードマンにしてここに行けるようにした。
そう考えれば辻褄が合うような気がしたわしはならば答えは決まったなと軽く頷いてから村長に会釈して返した。
「そちらが良ければ、ぜひお願いいたす。」
「うむ、受け入れよう。そうなるとお前さんの名前を決めた方がよいな。」
「名前、ですか?」
「若き蜥蜴のままでは呼びづらかろう。何かいい名があればよいのじゃが。」
村長が名前を決めようと首を捻って考えようとしてくれた時にリープが先に言った。
「あの、【ザウバー】なんてどうでしょう?」
リープから出た名前にニッカが少し驚く表情をする中、村長は自分では思い浮かばなかったので頷いてから言う。
「では記憶が戻るまで今日からお前さんは【ザウバー】じゃ。よろしくのザウバー。」
「はっ、承知しました。」
こうしてわしは、いや拙者はリザードマンのザウバーとしての新たな人生か始まったのである。
手始めにやらされたのは自分が住む場所を決めることになった。
といっても立ち去った後の空き家を選んで修繕するだけですぐ決まったのだが。
家が決まった拙者は次にどの職に合うか6日間それぞれの役職で働いた。
元が剣道をやっている者なので当然ながら6日間を終えた結果としてザウバーは戦士の職に就いた。
就いてからはニッカの指導の元、見回りや村を狙う害獣の駆除などをしていった。
その生活の中で拙者が密かに行っていたことが2つある。
1つはリザードマンの身体に慣れること。
人間と違った体型に丸太のような太い腕、さらに最も違うのは脚の骨格に尻尾だ。
今までないものを意識して動かすというのは以外と難しいもので当初はよく木や岩に尻尾をぶつけて鈍痛を味わうことになった。
だからこそ脚に関しては早歩きしたり走ったり跳躍したりして感覚を研ぎ澄ませた。
尻尾は立ち止まって動かすところから歩きながら動かすところまで訓練してさらには物に巻きつけ持ち上げたりしてリザードマンの身体の感覚を自分のものにしていった。
もう1つは村の事情である。
焼き魚という知識を村に広めたことによって村人に信頼を得た拙者は他に村で困っていることがないかと聞いて回った。
そこで知ったのはこの世界に置けるリザードマンの立場であった。
かつてこの世界では魔王が軍勢を率いて世に混沌をもたらした。
その軍勢にはリザードマンも入っていたらしい。
人々が絶望に苦しみ諦めかけた時、後に【7英雄】と呼ばれる7人の冒険者達によって魔王は討ち倒され軍勢も退いて世界に平和が訪れた。
ところがリザードマンを含めたいくつかの魔物が残され世界に散らばった為にリザードマンは繁殖し存在しているのだと聞いた。
しかしそれによってこの世界のヒト族と呼ばれる者達からは魔物としてリザードマンを敵視しているということ。
そのせいで交流など出来るはずもなく過激な者はリザードマンと見ただけで弓を引くらしい。
過去の因縁とはいえ実に悲しい話であった。
そしてロスヴァスで今問題になっているのは食糧難であった。
川の上に家があるとはいえ、漁業が盛んなわけではない。
時期によっては主食の魚があまり穫れないこともあるので近くの森で取れる木の実やキノコで凌ぐ日々が起きるほどだ。
ここまで調べた中で拙者は考えた。
このロスヴァスの問題を解決し、さらにはリザードマンがもっと世界で動ける存在にする。
これこそが声の主が望むリザードマンの救済になるのではないかと。
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