第五十話 奇跡の逆転ホームランはきっと誰にでも訪れる

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第五十話 奇跡の逆転ホームランはきっと誰にでも訪れる

小一時間仮眠すると、忍は目を覚ました。 「あ、おはよう、忍」 目覚めた時誰かが側にいるって、こんなに安心するんだ 起きた時ひとりでさみしくて泣かない。 それがどんなに幸せかを実感した。 さとこは少ししびれながらも、ずっと忍の手を握り自分もつられてうたた寝をしていたが、手の動きに反応し起きた。 「忍、お父さんへの弔辞にお客さん来たんで、とりあえずダイニングで待ってもらってるけどどうする?」 「そうなんだ、せっかく来てもらったのにおまたせしちゃったんだね。悪いことしちゃった」 「大丈夫、私がお接待してたから。おせっかいのお接待ね」 得意の話術で、お茶を飲みながら相手を飽きさせることなくおもてなししていた。これはさすが元ホステスのなせる技。 「ちょっと言ってくるね」 鏡で身だしなみを整え、階下に降りる。 「咲希、お客さんって…」 「あとはふたりに任せて私達は退散しようね」 ニヤリ 不敵な笑いを浮かべる。 「えっ!どうして…」 「それはこっちのセリフ。急に連絡つかなくなったと思ったら、まさかこんなことに…。どうして知らせてくれなかったの?僕だって、お父さんとは顔見知りなのに」 ダイニングに座っていたのは、松木だった。 「なんで父のこと…」 「うち近所だし。葬儀会館のところに竹内家って書いてあったのがなんか気になって。それに咲希さんのお店行ったらこのことを聞いて…」 咲希、あのおしゃべりが 気配を感じ玄関の方を振り向くと、手を降って帰っていく姿がみえた。 あとはふたりではなしなよ パクパク、口の動きがそう言っている。 「まずは、お線香させてもらってもいいかな?」 「は、はい、どうぞ」 仏間に通すと、座布団の上に座り、線香に火をつけて手を合わせた。 その一連の動作が流れるように美しくて、忍は見とれていた。 私…こんなきれいな人に抱かれたのか… 隙や無駄な動きのない所作、男っぽ過ぎない雰囲気。 やっぱり、この人の全部が好きだ。 この場で不謹慎ながらも、忍はそう感じていた。 「この前、忍ちゃんを送って帰った時」 「あ、はいっ」 恥ずかしい 記憶のないあの日の失態が蘇る。 「お父さん言ったんだ。ありがとうございます、迷惑ばかりかけてすみません。こんな娘ですがどうかよろしく、って」 「お父さん…」 そんなことを言ったなんて 普段寡黙な人なのに 「そんなひと言だけど、すごく忍ちゃんのことを大事に想ってるのが伝わってきて、あぁ、この子は親御さんにたくさん愛情受けてきたんだなって。だから礼儀とか気配りとか、きっと自然に身についてるんだなって、感じたんだ」 「…そう、なんですかね…父も松木さんのこと褒めてました。普段人の話なんてしないのに。あの人は今どき珍しい好青年だって」 「いや、もう中年だけどね」 はにかむ笑顔の中年。 それでも爽やかさ100%。 「いいお父さんだなって思ったよ。僕ね、父を早くに亡くしてるから、こんなお父さん温かくていいなって。それなのに…どうして僕に知らせてくれなかったの?ほんの僅かな接点かもしれないけど、知らない人じゃないんだし…」 「…ごめんなさい」 たしかにそうだ。 自分の気恥ずかしさばかりに気を取られ、相手の気持ちを考えるに至らなかった。 フゥ、と悲しそうにため息をつく爽やか中年。 「この前も朝になったら黙って姿くらましてるし…おまけにお金置いておくとかしなくていいし。デートだよ、割り勘なんてありえないよ」 「なんか松木さん、いつもとキャラが違いませんか?」 少々ブチギレるイケメン中年に戸惑いながらも、そんな駄々っ子のような姿がかわいいと思ってしまう。 「…僕ね、離婚するんだ」 「へっ!?」 聞き慣れない言葉に、思わず聞き返す。 「この前上の子の恋人とみんなが食事にいくって言ったけど、本当はあれ妻の恋人を子供達に紹介してたんだ。子供達もその男にすっかり慣れてるらしくて、離婚してほしいって離婚届渡された。しかもそいつの子供を妊娠してるんだって。ナニソレって感じだろ?なんかもうやりきれなくて…確かにちょっと気持ち吹っ飛んでるかもね」 傷心のあまり語彙が荒くなっている中年。 「だから、もし忍ちゃんがあの夜のことを後悔したり罪悪感もってるなら、そんなの無用ってこと。うちの家族に対して悪いとか思わなくていいから。もっと前から裏切ってたのはうちの妻のほうだから。あ、もうすぐ妻じゃないけど」 「そう、なんですか…」 あまりに突然の話に、頭がついていかない。 「忍ちゃんのことだから、自分ひとりで罪を背負うとか思ってたんじゃないの?」 ドキッ なんでこの人、私の心の中が読めるんだろう… 「咲希さんから聞いたよ。お父さん亡くなったのは自分が朝帰りしたからだって自分を責めてるって…それならその罪の重荷を、僕に半分背負わせてよ。これからずっと、君の側で」 「えっ?どういう意味ですか…?」 聞きようによってはなんだかつきあうように聞こえるけど… 「忍ちゃん、僕と結婚しよう」 「はいっ!?」 Yesのハイじゃない、疑問形のハイ。 「わ、私の処女の責任とるとか思わなくていいですよ!?」 「ははっ、いつの時代の話」 松木はククっ、と笑っている。 「だって僕、ずっと忍ちゃんのこと好きだったから」 ちょっと待って これは夢ですか 妻子ある人を好きになって 一度だけと抱かれ 忘れようと離れ それが今 妻とは離婚する 結婚しようって言われ 私の人生どこに流されそうになってますかー!? 「いや?僕とじゃ」 捨てられた子犬のように潤んだつぶらな瞳で見つめる中年。 「いやなわけないじゃないですか…ただこの現実にまだついていけなくて…さっきまで少し寝てたしこれは夢なのかなって…」 「夢じゃありません」 そういうと松木は立ち上がり、ギュッと、忍を抱きしめた。 「もうどこにもいかないで。ひとりにならないで」 うるっ その言葉に、忍の涙腺が崩壊した。 「ウー、うー、うー…」 激しくこみ上げる嗚咽が止まらず、 声にならない声で泣きじゃくった。 「ハウ、あぅ…」 そんな忍を、松木は優しく抱きしめた。 慈悲と愛おしさの眼差しで。 「今まで、辛かったね…」 うん  うん 走馬灯のように、過去の辛い記憶が巡る。 人生が嫌になることもあった。 死にたくなるくらい自尊心が傷つくこともあった。 ひどい暴言の数々、いじめの苦しみ。 仕事もうまくいかず。社会の荒波に揉まれ。 そして母親との早い別れ。 父親の突然の死。 だけど そんな辛い出来事の数々を 一瞬で吹き飛ばすほどの幸せが まさか自分に訪れるなんて。 あきらめかけていた想いが 大逆転ホームランで勝利する喜び。 忍は思った。 人生って、意外に悪いものじゃないと。 たくさんの苦しみを味わった人には きっと それ以上の幸せが来るのだ。 必ず、誰にでも。 「お父さん、お母さん。必ず忍さんを、幸せにしますから…」 仏壇に手を合わせて誓う松木のその人柄が、忍は愛おしくて仕方なかった。
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