第五十一話 言われなき中傷

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第五十一話 言われなき中傷

「どうしたの?なんか元気ないね」 南井がキッチンで料理する咲希に声をかけた。 日曜日、店が休みの日は土曜日の夜から泊まりにきて、ふたりは咲希の部屋で一緒に過ごすのが常となっていた。 「うん…最近嫌がらせみたいなカキコミが何件かあって…」 「えっ!? なにそれ??」 咲希の飲食店のことを、ネット上で低評価つける輩が表れ始めていた。 飲食店のサイトでもマップでも、✩5個中ひとつと共に辛辣なコメントが書かれている。 そのどれもが事実無根な内容で、明らかに評判を落とすためにわざとやっている感が垣間見える。 そのひとつひとつに返信しながらも、例えばバイトみたいな若い男の態度が悪い、なんてものには 『当店にそのような店員はおりませんので、近隣の他の店舗とお間違えではないでしょうか?』 とやんわり返信し、この料理がまずかった、と写真も載せているコメントには、 『当店ではハヤシライスをメニューで出したことはございませんので、違う店での記憶が混在しておられませんか?』 と、他の客にもそのコメントが無意味だとわかるように示している。 「ネット上での中傷って言葉がかたちとなって残ってるから、目に付くとやっぱり不快感が残っちゃう。すべてが✩5の完璧なことはどんな名店でもないし、あくまでその人が感じたことだからどう思われても仕方ないって流さなきゃいけないけど…あからさまに悪意が感じられると嫌な気持ちになって精神的に疲れちゃう」 「それでなくても咲希さんは病み上がりなんだから、あまりネットとか見ないほうがいいよ。たしかに精神的なダメージが大きくなるからね」 「世の中評価ばっかりで、なんだか息が詰まっちゃうわね。陽介さんは?議員さんなんて叩かれること多いでしょう?」 「そうだね、鋼の神経じゃないとやってらんないよ。打たれてなんぼ、くらいにね」 「強いなぁ、そういうところほんとに尊敬する」 「強くないと守れないから。この街も、咲希さんも」 そういうとチュッ、と軽くキスをした。 「それにしても…誰がそんなことを…」 「新店ができると売上下がった近隣の店が、潰すためにそういうことをすることもあるって聞くけど。あくまで個人の一評価としてならこういうの罪に問われないでしょう?」 「そうだね…同じアカウント名でやってたら荒らし行為ととられてサイトによっては削除されると思うけど、複数のアカウントを使いわけてたらそれも難しいし」 「昔は今みたいにネットも身近じゃなかったから、顔の見えない相手が怖いって思う機会は少なかったけど。今は溢れてるもんね、SNSとか口コミサイトとか。良い情報もある反面、平気で誰かを貶めたり、傷つけたりできるから。それに偽情報も拡がりやすいから、正しいものを見極める目が必要ね」 「そうだね、無責任な発言に惑わされることなく、咲希さんは咲希さんの思うようにしていけばいいよ。ちゃんとやってれば見てる人はわかってくれるよ。僕も含めて」 そういうと、再びキス。 熱々のおふたりです。 「よかった…こういう不安で心細い時、陽介さんがいてくれて。私ひとりだったら気になって嫌なのにそういうカキコミを何度も見てたと思う。あれなんだろうね?見てはいけないと思うほど、何度も見てしまう心境。怖いもの見たさみたいな」 「どうでもいいことならほっとけるけど、どうでもいいことじゃないからだよね、自分にとって。そして嫌だから排除したいという強い気持ち」 「結局人からの評価を気にし過ぎてるんだよね、私」 咲希の母親は他者に厳しい人だった。 それは家族、とりわけ子供達にも同様で、躾や礼儀作法にもうるさかった。 そのおかげで美しい身のこなしで自然と振る舞えることができるのは感謝している。 しかし何もかも完璧にできていないと褒められることがなかったため、咲希は常に母親の顔色を伺うようになり、人からの評価を必要以上に気にするようになっていた。 そのため、例えば仕事で否定されれば自分を否定されたように思うし、面接でダメだと自分をダメだと言われたように感じ、必要以上に落ちこんでしまう。 「感受性の強い人はみんなそうだよ。何でも自分のこととして深く受けとめてしまうんだよね。だからこそ、仕事とプライベートをわけるのは大事。さぁ、今日は1日僕のことだけ考えてて」 そう言って、3度目のキス。 「そうだね、陽介さんのことだけ考えてたらいいんだ」 朝食はトーストに、いちごジャムとクリームチーズ。 サラダと目玉焼き、焼きウィンナーにコーヒー。 「じゃーん、咲希オリジナルモーニングセット♪」 「おいしそう、いただきます」 ダイニングテーブルにはふたり分のランチョンマット。 マグカップもカトラリーも、ペアで使えるのがうれしくてたまらない。 「今日はスマホの電源オフにしとくね」 咲希はスマホをカバンの中にしまった。 「できるならたまにはそのほうがいいね。いつでも開けるとついかまいすぎちゃうし。それにしても、簡単に繋がれる便利さの反面、容易に人を攻撃できることを自覚して使わないとね」 「ほんとそうね。私も評価する側だったら、結構手厳しく書いたりしちゃうもんね。でもいざ自分が書かれる側になったら破壊力半端ないわ。陽介さんが言うように、店のことなのに自分に言われてる気がしちゃう。これからは何でも書きこむのやめよう。それと…」 「どうしたの?」 「今日は仕事のこと考えないから…朝からしたい」 「えっ!? もう身体大丈夫??」 「痛みもないし、早く陽介さんとそういう関係になりたいの。だめ?」 上目遣いにあざとかわいく言われては、そうそう断れる男はいない。 「えっと、じゃあ、まずは朝食たべて歯みがきして…ベッドいこうか」 「うん」 あらあら、咲希さんも忍さんも積極的ですね。 自分から好きな人を誘うなんて。 でもね 待ってるだけでは何も来ないから。 ここぞという時には、思いきった行動も大事だと 経験上よく知っているオトナなお年ごろです。
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