第五十三話 死神の囁き

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第五十三話 死神の囁き

咲希の心臓の検査結果が出た。 「冠攣縮性狭心症(かんれんしゅくせいきょうしんしょう)…?」 長くて言いにくく聞き馴染みのない病名。 血管そのものに問題がある一般的な狭心症ではなく、誤った信号により一時的に血管が詰まり、その都度発作が誘発されるものらしい。 発作時の舌下錠、ニトログリセリンが処方され、しばらく様子をみることとなった。 「検査の時薬剤注射されたらいきなり身体中が熱くなって気持ち悪かったのよ!一瞬で血管の中を駆け巡るような感じで。それにしてもニトログリセリンなんてよくドラマとかで心臓悪い主人公が飲んでるやつでしょう?なんだか急に悲劇のヒロインみたいよね」 饒舌にいつも以上にしゃべる時は、わざと元気に振る舞っている時。 長いつきあいのさとこも忍もそれをよく知っているので、逆に心配だった。 「そんなに無理しなくていいよ、せめて私達の前では」 「そうだよ、しゃべりながら苦しそうじゃない。今は身体を治すことを第一に考えてね」 親友達の言葉に、うるっとあふれる涙をこらえた。 「あはは、ありがとう。ほんとにもうふたりには叶わないな。なんでもお見通しなんだから」 「当たり前でしょう?何年つきあってると思うのよ。しんどい時は休んでほしいけど、柴田さんはなんて言ってるの?」 さとこの質問に、咲希は表情を曇らせた。 「…働けないなら、せめて間借りで料理を出したい人とか探せって。ずっと閉めることになったらその間の家賃や水道光熱費がもったいないからって」 「なにそれ!? 自分の彼女が病気で苦しんでる時にいう言葉??」 「さとこの言う通りだよ。南井さんは?このこと知ってるの??」 ううん 咲希は首を振った。 「次の選挙が近くて忙しいから、最近は全然会ってなくて…。そんな時に心配もかけたくないし」 「ひとりで抱えこまないで。私達がついてるからね」 「ありがとうさとこ、忍」 夜の営業前、店を訪ねてきてくれたふたりが帰ると、再び発作に襲われた。 く、くるしい… 胸が締めつけられ、呼吸が苦しくなる。 手元に用意していた薬を舌の下に入れ、テーブルにうつぶせになり発作が治まるのを待つ。 こんなんでお店続けられるのかな… 自分ひとりだけなのに、お客様の前で倒れたりしたらどうしよう こわい 自分の身体なのに、いつどうなるかわからないなんて 悔しくて涙が出る。 なんで私ばっかりこんな目に合わないといけないの? 浩輝さんはあんなに平気で人を傷つけてるのに、 お金もあって健康で 私は人のことを考え一生懸命まじめに生きてるのに 世の中不公平過ぎるよ 幸い咲希の身体にニトロはよく効き、 しばらくすると発作は落ち着く。 しかしいくら薬が効くとはいっても、 いつ発作に襲われるかわからない恐怖心や 先行きの不安に、 咲希のメンタルはどんどん弱っていった。 そこに、 柴田からのプレッシャーとストレスや 愛する南井となかなか会えない現状に 軽いうつ状態になっていることに 本人も気付く由はなかった。 もうどうでもいいや… 『体調不良のため、しばらく休みます』 店に張り紙を貼り、SNSにそう告知すると 柴田からの連絡をすべて拒否し 咲希は自宅に引きこもった。 数日が経ち、 自分が何をしているか自覚もなく。 食欲もなく、ほとんど何も食べずに過ごし、 ただベッドの中で横になる。 ほとんど眠ることもできず、 明け方うとうとすると心臓の発作に襲われ目が覚める。 冠攣縮性狭心症の特徴として、夜中や明け方、就寝中の安静時に発作が起こりやすい。 くるしい たすけて こんな朝が何度繰り返されるんだろう 誰とも会いたくない こんなボロボロの自分で でも ひとりがこわい いくらこの病気自体での死亡例は少ないといっても、動脈硬化から心筋梗塞に至る例もあると聞く。 死にたくない まだやりたいこといっぱいある 何よりみんなで楽しい老後を迎えたい 老後同盟バンザイって、縁側でお茶飲みながら話したい そう思いながらも こんなに辛いなら 死んだほうがマシだと思う自分もいるのはなぜ 時々、死神がささやくの 死んだら楽になるんじゃないかって 面倒なことも 嫌なことも すべて投げ出してしまえるから 苦労も ストレスも感じず 何もない世界にいける 自分の存在も無にできるなら 子どもの頃見た光景がふと頭をよぎる。 手首にカミソリを当て、殺してほしいとつぶやいた母親の姿。 あぁ、私もやっぱりお母さんの娘だ 同じことを考えている お母さんもきっと、辛かったんだね 生きてるってことが ピンポーン… 呆然と死ぬことを考えてしまっていた矢先、 インターホンのチャイムが鳴った。 ハッ!? その瞬間、我にかえる。 やばいやばい 私いま 死神に魅了されていた…? ゾッとして応答すると、来客は忍だった。 今の自分の姿を南井には見せたくなかったが、 親友にはさらけ出してもいいと思えた。 解錠すると、部屋の中に招き入れた。
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