第五十五話 この人を好きになってよかった

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第五十五話 この人を好きになってよかった

「えっ!? 心臓が?? そんな大事なことことなんでもっと早く教えてくれなかったの??」 病状のことを聞いて、南井はショックを受けている。 「ごめんなさい…選挙前で忙しい時に余計な心配かけたくなくて」 「前にも行ったけど、咲希さんの身体が一番大切だから。これからは何かあればすぐに言って」 「ありがとう…それでね、しばらくは寝る場所は別々にしたほうがいいと思うの」 「なんで?」 「夜中とか明け方に発作が起きやすいから、陽介さん疲れてるのに起こしちゃうもん」 「それならなおさら僕は隣にいるよ。背中さすったりしかできないかもしれないけど、苦しんでる咲希さんをひとりにするわけにはいかない」 普段は柔軟なのに、ここだけは何としても譲らない模様。 仕方なく同じベッドで寝ることを了承する。 「いい?もし発作が起きて苦しくなったら、遠慮しないで僕を呼ぶんだよ」 寝る前、何度も念を押すと電気を消した。 今夜は発作が起こらないように… 祈る気持ちで眠りにつく。 しばらくひとりだったベッドの中に、 他の人の体温がある安心感。 ぬくもりとやすらぎを感じる。 うとうとと、いつもより早く眠りに落ちた。 夢をみた。 柴田が鬼の形相でこちらをみている。 お前はオレのものだ どこにも行かせない 追いかけてくる やめて 来ないで! ハッ 汗だくで目が覚めた。 悪夢だ… 呼吸が乱れる。 隣にはスヤスヤ眠る南井の姿。 やはり連日の激務で疲れているんだろう、 熟睡している。 よかった起こさなくて… 水を飲もうと身体を起こした途端 ドクン ギュッ きたっ 発作だ! ハァ…ハァ… 胸が締めつけられる。 くるしい… 枕を握りしめ耐える。 薬…飲まなきゃ… サイドテーブルに用意しておいたニトロを取り出そうと明かりをつけると、 南井が異変に気付いた。 「咲希さん!?」 慌てて起き上がり背中をさする。 「大丈夫!?」 「く、くすり…」 「これだね、すぐ出すよっ」 急いで取り出して口に入れる。 「横になって、楽な姿勢にね…」 そのまま様子を見守る。 「しばらくしたらおさまるから…」 ハァ…ハァ… 薬が効いて発作が治まるまで、南井は咲希の手を握りしめていた。 数十分ほどで落ち着くと、やっと呼吸も整い普通にしゃべれるようになった。 「ごめんね…起こしちゃったね…」 汗を拭き水を飲ませると、南井は言った。 「何言ってるの、起こしてって言ったでしょう?側にいるから、安心して少し眠って」 「うん…」 時刻はまだ午前三時前。再び静かに眠りにつく。 次に目が覚めたのは、まだ外も薄暗い午前四時前だった。 一時間くらい眠ったのか 隣に目をやると、眠れないのか南井が上半身を起こしていた。 暗がりの中、何かブツブツひとりごとを言っているよう。 ポツ、 布団に涙がひとしずく。 泣いてるの? 耳を澄ます。 「神様仏様、どうか咲希さんの心臓が良くなりますように。もし彼女の身に何かあれば…僕はもう生きていけない。咲希さんを思い出すから、一緒に行った場所は二度と行けません…これから行きたいねって話した場所もひとりでは行きません…グスッ、ヒック」 それを聞いて、咲希はもらい泣きした。 生きよう 私は この人のために 私に何かあれば、 自分も生きてはいけないと言ってくれた。 思い出してしまうから 一緒に行った場所にも行けないと 泣きながら言ってくれた。 こんなに優しい人を 好きになってよかった。 咲希はそっと、南井の手を握った。 「咲希さん…起きてたの…?」 「陽介さん、私そう簡単には死なないから、大丈夫だよ」 初めて目の前で心臓の発作で苦しむ姿をみて、 ただ事ではないともし愛する人が死んじゃったらどうしようとかなりテンパって思考が飛び過ぎだが、 少なくとも咲希にとっては、前回倒れた時もそうだが、この人なら人として信頼できる、本当に心があり優しさを持っていると、確信する出来事だった。 そして、 この人を好きになってよかった 柴田に背き裏切るかたちになろうとも この人を選んでよかったと 心の底から感じるのであった。 そういえば忍が言ってたな… 人間元気な時は楽しいねおもしろいねって いろんな人が寄ってくるけど 自分が苦しい時 元気ない時 あえて側にいて 寄り添ってくれる人が 本当に自分のことを、想っていてくれる人なんだよ。 だからそういう人を大切にしたほうがいいの。 いいとこ取りの調子いいことばかり言う人は いずれ裏切るからあんまり相手にしないほうがいい。 「忍の言う通りだ…」 柴田がまさに後者の人で、病気になったら役立たずと言わんがばかりに恋人を見捨てた。 今までは好きだよかわいい愛してると表向き溺愛しておきながら。 心臓の具合が悪くドクターストップもかかったのでしばらく休みます、すみません。 と伝えたきり連絡を着拒しているので、今向こうがどうしてるかは定かではない。 わざと大袈裟に、入院するかもしれないのでそうなると数日連絡をとることは不可能です、とも書き足しておいた。 実際は自宅療養をしているわけだが、来訪の気配も無し。 もういざとなれば、有り金はたいて出店費用をできる限り返して逃げるしかないとまで考えていた。 今咲希の頭の中には、南井との未来しか考えられなかった。
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