第五十七話 殺したいほど憎い

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第五十七話 殺したいほど憎い

南井は政治家としての職を失った今、咲希との新生活のために新しい仕事を探し歩いていた。 その合間には一緒に店を手伝い、体調を気遣い送り迎えは常に行動を共にした。 ある雨の夜、仕事を終え帰宅途中、目の前に車のライトが光り、水たまりの水しぶきがあがった。 まぶしい! 急停車した車の中からあらわれたのは、柴田だった。 「よぉ、ふたり仲良くご帰還か?」 「柴田さん…」 「選挙、残念だったな。咲希、こんな金も仕事もない男となんで一緒にいるんだよ?オレのところに来いよ、なぁ」 「白々しい…アンタが裏で手をまわしたんでしょう?この卑怯者!」 「さて、何のことだか」 ただ事ならない雰囲気で、柴田は近づいてきた。 「まさかオレの女に手ぇ出すとはなぁ…お前みたいな小者社会から抹殺するなんてオレには容易いことなんだよ…」 「咲希さんはお前のものなんかじゃない!アンタは彼女を支配し金儲けに利用するだけで、愛情の欠片も持ち合わせてないだろう、この非情人間め!咲希さんは身体の具合も良くないんだ、いい加減余計なストレスから解放したらどうだ!?」 ふぅ… 大きなため息とともに柴田は言葉を続ける。 「やれやれ、お遊びに火がついてしまったみたいだな、男遊びも、経営ごっこも」 「どういう意味?」 「お前をつかまえておくために店をもたせて、どうせうまくいかなくて泣きついてオレを頼ってくるとばかり思ってたのに、ヘタにがんばるもんだから。客足が遠のくようにわざと部下に評判下がるようなカキコミもさせたのにな」 「!? あれもあなたの仕業なの??」 「なんてことを…アンタ人間のクズだな!」 「なんとでも言え。それなのにそんなクチコミにも真摯に対応するし…逆に株をあげさせちまった」 チッ 悔しそうな舌打ち 不愉快な音だ。 「それじゃぁあなたは…最初から私に期待なんかしてなかったの?? 売上なんかどうでもよかったの!? ただ手のひらの上で転がして楽しんでたの!?」 「お前みたいな素人がやすやす飲食店始めてそう簡単にうまくいくようなあまい世界じゃないよ」 フッ あぁコレ この人の口ぐせ 他人を侮蔑し見下す時の笑い 咲希は怒りで胸が張り裂けそうだった。 「行きましょう、陽介さん。こんな人と関わるだけ時間の無駄だわ」 振り返らず、その場を後にした。 悔しい悔しいくやしい あんなやつにあんなやつに いいように踊らされて 身体壊すほど働いて 私バカみたいだ 雨の中、涙が滲む。 「咲希さん、身体が冷えるよ」 不思議なもので、怒りと興奮で濡れた身体の冷たさも忘れてしまった。 「アイツに死んでほしい、この世から消えてほしい!今までも何度もそう思ったけど、これまでの人生で今日ほど誰かを憎んだことはない。あんなヤツあんなヤツ、できるなら殺してやりたい!死ね、死ねっ。何度も口汚く罵りたくなるっ。死ねばいいのに!柴田!」 ウッ 興奮したためか、心臓の発作が起きた。 「く、くるしい…」 「あのバス停の陰で休もう。薬出せる?」 ポケットにしのばせておいた薬を舌の下に入れる。 「今日はもうタクシーで帰ろう」 「そんなお金もったいない…」 「ここからなら数千円だよ。さすがにそれくらい大丈夫だから」 号泣しながら咲希はうずくまった。 胸の締めつけられる痛み、苦しみと、強烈な殺意。おそろしいほどの憎しみ。 あんな男にこれまで身を委ねてきたと思うと、我が身の汚れに耐えられなくなる。 できることなら階段から突き飛ばして首の骨を折って即死してもらうか、鈍器でこれまでの憎しみと恨みをこめて撲殺したいくらい。 死ね死ね死ね、あんなヤツ 心のなかで何度も何度も恨んだ。 後日、さとこと忍にこのことを打ち明けた。 「えっ、なにそれ怖い!あの人そんなにやばい人だったなんて…」 常識人のさとこは、自分の知らなかった世界に恐れ身震いしている。 「まさか店をやめさせるためにネット上の中傷をさせてたなんて…やることがゲス過ぎる」 忍は静かに怒りを滲ませている。 「今お店はどうなってるの?」 「さすがにもうあの人への不信感が強すぎるし怖くてやってない。どうせあの人にとってはただのお遊びだったわけだし。不動産屋に鍵も返して、中のものは適当に処分してもらって、契約はあの人の会社名義になってるから、あとの連絡はそっちにお願いしてる」 「私達の前で土下座までして、お詫びに夢を叶えてあげるからって言ってたのにね…」 「土下座なんてただのジェスチャーに過ぎないわけよ。心こもってなかったらただのパフォーマンスね」 「柴田さん、裏表あり過ぎてやばくない?」 「さとこの言う通りだよ、家も知られてるし、今後復讐とかされるんじゃ…」 「まぁ何かされたほうが警察にも言えるからいいんだけど、世間体一番気にする人だからさすがにそこまではないでしょ。でも近いうちに引っ越しはするつもり。南井さんと一緒に暮らすには、今の部屋だと狭すぎるから」 「それがいいね、新しい環境で今までの嫌なことは全部忘れて、やり直そう」 忍の言葉に、皆頷いた。 「それにしても、私だけがいつまでもこのまま〜?私にも誰かいい人いないかな〜?」 さとこの天然な空気が、殺伐としていた咲希の心を和ませた。
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