第五十九話 リセット症候群の女

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第五十九話 リセット症候群の女

さとこは、時折無性にすべてを片付けたくなる。 それは部屋の中の不用品から始まり、溜まったメール、撮りためた写真、使用していないいつか使うと入れたアプリ、着ない服、やりとりのない連絡先、公式LINEなど多岐に渡る。 大体それが始まるのは何か嫌なことがあった日や、思い出したくもない過去の記念日など。 きっちりした性格なので、元夫と離婚した時は一緒に使っていたものや、離婚した日に着ていた下着や服も全部燃えるゴミに出した。 いやなのだ。 その時の感情や不快感が染み付いているようで。 なまじ記憶力が良すぎるため、結婚記念日や離婚の日、相手の誕生日なども忘れたいけどおぼえている。 なのでそういう節目節目に、過去を忘れるためにも消去できるものは消していく。 目に入らなくなると、自然とその気配や存在が薄れていく。 職場で誰かに嫌なことを言われた日、腹がたってムシャクシャして、その人を連想させる物を投げ捨てたりもした。 そうすると、少し気分が晴れる。 過去は忘れるもの? それとも記録としてとっておくもの? さとこにとっては前者だ。 過去は、生きてきた過程に過ぎない。 大事にしていても何の得も得られない。 思い出なんて何の役にもたたない。 蒸し返すくらいなら、未来に意識を運んだほうがよっぽど有意義だ。 前の夫は後者だった。 あろうことか、昔の彼女からもらったプレゼントまで大事に保管していた。 しかもそれを結婚後の新居にまで持ちこんでいたのだから呆れた。 本人曰く 「あくまで自分の青春の思い出の一部だから」 と。 なぜだろう 男のほうが物を大切にしがちな傾向が高いように思う。 女のほうが不要になったら売ったり、時には昔の彼氏からのプレゼントさえお金に変えたりもする、現実的な一面がある。 そう考えると、男は意外にロマンチストで、女のほうが今を生きることに力を注ぎそうだ。 リセットしたい時は、人間関係も必要最低限になる。 この時会うのは、老後同盟のメンバーくらいだ。 親や姉妹さえ、身近過ぎるゆえ干渉が煩わしく感じることもある。 離婚の時、さとこは夫に言った。 「あなたとの関係をリセットして、まっさらな気持ちでやり直したいの」 「リセットって、なんかナイフみたいにズバッと一撃だよね。もうちょっとやわらかい言い方はないの?」 「ありません!」 ビシッと追撃。それ以上、夫は何も言えなくなった。 ゲームなら、何度でもやり直しがきく。 ゲームオーバーになっても、またリスタート。 人生は、そう簡単にやり直しがきかない。 だから、徐々に慎重になる。 用心深くなる。 その重圧を少しでも軽くするために、リセットしていくのかもしれない。 身の回りを軽くすることで、心もスッキリと晴れる。 40歳過ぎたら、あまり多くのものはいらない。 服も、本も、友人も。 省エネに生きていき、余剰分は老後の資金に貯めておきたい。 遠くの海外で贅沢するより、近場の国内でのんびり温泉にでも浸かりたい。 旅のおみやげはかたちとして残るものより、ちょっと贅沢なおいしいものを。 化粧品はスキンケアだけちょっとはりこんで、メイクはコンビニのプチプラでもいい。 リセットは、物質だけでなく 生き方そのものも。 いつまでも若い時と同じままではいられない。 必要なものは、その都度変わる。 その時々の自分にあった生き方や物を選ぶことは、 自分らしい幸せを選択すること。 広々と片付いた部屋で、さとこはそう思うのだ。 「スッキリした!!」 生きていくのに必要なものは、実はそんなに多くはない。 人はなぜ、飽くなき欲望に憑かれ、あれもこれもと求めて欲張って、手に入らないものを嘆いて羨んでいくのか。 地位、名誉、称賛、ブランド、高級品、家、車、化粧品… 人それぞれ価値をおくものは違えど、 身の丈に合ったもので満足できれば、 この世界の、日本の幸福度はもっと高いだろう。 簡単に周りを見渡せてしまう世の中だ。 SNSや動画配信、テレビなど。 知らずしらず脳にインプットされるその刺激が、 他人と比べ自己肯定感を下げてしまうのかもしれない。 隣に建った高級分譲マンション、駅直結のタワーマンション。 そこから出てくる幸せそうな家族を目にするたびに、胸が微かにざわつくのはなぜ? 私も憧れているのかな ほんとは あんな絵に描いたような幸せな家族に ローンが払える安定した高給取りの夫に 私学のいい幼稚園に通う賢い子供 手をつないで一緒にお散歩 ママあのね、今日はこんなことがあったよ そうなの、よかったね。今夜はハンバーグにしようか やったぁ!ママのハンバーグ大好き まるでCMかドラマの一場面のような日常 休日にはパパも含めて近くの公園でピクニック それがいいの? あこがれも、夢見ることもそれ自体はいいことだ。 だからといって、今を否定する原因ではない。 今の私には、今の私の幸せがある。 生き方がある。 夫も子供もいない分、自分の好きなことができる。 自由は何よりもかけがえのない財産。 実家暮らしだからこそ、休みの日にダラダラしてたってご飯も出てくるし、私がやらなくてもお風呂もきれいだ。 部屋でひとり寝転んでボーっとしてたって、誰も咎める人もいない。 「これでいい…今の私」 目を閉じて、お昼寝の午後。 気持ちいい… 窓から入る風にカーテンが揺れる。 誰がなんと言おうと、今の私は、幸せだ。 非正規雇用だけど、好きな教師という仕事を続けられている。 ちゃんと休みがある。 毎日ご飯が食べられる。 お風呂にも入れる。 そう多くはないけど給料ももらってる。 そして何でも話せる友達もいる。 老後同盟組んで将来も安泰だ。 無駄な物がなくなった部屋でのんびり、 何もしない贅沢な時間を謳歌するさとこだった。 余分な物を削ぎ落としていくと 自分にとって本当に必要なものが見えてくる。 ある日訪れた、 大阪市にある姫島神社。 ここはやり直し神社とも言われ、 女性が過去をリセットし、新しい門出を応援すると言われています。 さとこさんもここで、新しい風を呼び寄せたようですよ。 32cdc445-5781-46bb-9d86-8b79b4be3ad1
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