第六十三話 お前って呼ばれるの嫌なんです

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第六十三話 お前って呼ばれるの嫌なんです

ホスピス病棟に移り、ただ死を待つ日々を送っている柴田の元に、珍しく見舞い客が訪れた。 コンコン 「柴田さん、面会の方が来られてますけど、お会いになりますか?」 見舞い? 今さら誰だ? まぁ仕事関係のヤツだとは思うが… 「はい…」 力ない声で反応すると、思いがけない人物が入室した。 「南井くん…咲希…」 「ご無沙汰しています。これお見舞いの花です」 「まぁ花なんて興味ないと思うけど、形だけ」 咲希のほうが明らかに毒づいている。 「どうしたふたり揃って…オレの弱った姿をあざ笑いに来たのか…?」 来訪者ふたりは顔を見合わせてから、言葉を続けた。 「陽介さんが、このまま恨みや憎しみを抱えたままでいるのは、おたがいにとって良くないからって。今のうちにちゃんと話しておいたほうがいいだろうって」 「はは…オレが死ぬ前に存分に文句を言っておこうってことか。そりゃあれだけ酷いことしてきたもんな、当然だよ。今のオレには言い返す力も持っていない。好きなだけ憎しみをぶつけてくれ」 「違うわ、その逆よ」 「えっ?」 「陽介さんは、あなたを許すって言ってるの」 「はっ?どういう事だ…」 ベッド横の椅子に座り、腰を据えて南井は語りだした。 「憎しみや恨みからは、何も生まれません。世界から戦争がなくならないのも、やられては仕返しを繰り返すからです。確かに、大切な家族や居場所を奪われては、やり返してやりたくなるのが人間です。でもそれは負のループで、永遠に終わらない。僕達があなたを恨んだままでは、柴田さんはこの世はそういうものだと思ったまま。きっと来世も、未来永劫人を信じないまま、さみしい人生を送るのでしょう。僕は幼い頃から寺に通い、寺で働かせてもらい、地獄に堕ちた者の話や、仏様が人を救うことを学んできました。本来人は、愛し愛されたいものなのです。平和とは、まずそこからなんです。どんな時も、相手を大切に想い、大事に接し、愛のある言葉を伝えることで、心の平安が訪れるのです。僕は…人生の最期に、あなたに愛を知ってほしい。だから、許します。あなたのことを、あなたが僕達にしたことを」 「お前…バカじゃないのか…こんなオレを…許すだなんて…お前の政治家生命すら絶ったというのに…」 「僕はこんなことでは負けません。必ずまた政界に返り咲きますよ。あなたの力を借りなくてもね」 自信に満ち溢れた顔で、南井は笑顔で応えた。 「悔しかったら、病気に勝って陽介さんが政治の世界で活躍するところを、自分の目で確かめなさいよ」 ベッ と舌を出し挑発する咲希。 「はは、お前のそういう気の強いところも好きだよ。あー…お前たちには…かなわないよ…」 柴田は、自虐的に笑いながら涙を流した。 「咲希、お前がどうして南井くんを選んだか…今ならわかる気がするよ…」 どんな逆境にもめげない、真っ直ぐなひとみ。 そして 愛する人を絶対に離さない、強い拳。 それは決して、誰かを攻撃したり、己を傷つけることはなく。 大切な者を守るためだけに、その腕も拳もある。 「あのさ、今だからついでに言っておくけど」 「なんだ…?」 「私、お前って呼ばれるの嫌なの」 「はっ?」 「ずっと偉そうにお前お前って、陽介さんにもそう。結局そういうオレサマ主義が染み付いてるのよ。一度お前っていう呼び方はあんまり好きじゃないって言ったことあるのに、これは親しい人にしか言えないオレの愛情表現だとかなんとか言って言いくるめて。所詮自分が折れることないでしょう?あなたが直さないといけないのは根本的にそういうことよね!」 「咲希さん、今そういう話…」 「いいのよ!だって嫌なものは嫌なんだもん!相手が嫌がることはしないっていうのは、最低限の人間関係のマナーよ!自分の主張ばっかり押し付けたらダメよ!」 「はいわかりました…なんか咲希、オレとつきあってたときより生き生きしてるな。自然体で…おま…じゃなくて、咲希は本当に、いい女だな。南井くん、咲希のこと、よろしく頼むよ…」 「はい、もちろん。柴田さんのおかげで、僕は咲希さんと出会えました。その点にも、感謝しています」 「私もよ。ありがとう、浩輝さん」 「ありがとう、か。いい言葉だな…いいもんだな…人に感謝されるっていうのは…もっと早く…気付けたら…オレの人生も…変わってたかな…」 ベッドの上で、号泣する柴田。 彼がこの世を去ったのは、それから数日後のことだった。
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