第九話 教えを乞うことは決して恥ずかしいことではなくて

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第九話 教えを乞うことは決して恥ずかしいことではなくて

「竹内さんにひとつお願いしたい仕事があるんだけど、いいかな?」 「はい、もちろん」 お昼前、松木に声をかけられた。 「竹内さんはSNSとかやってますか?」 「多少は…ほぼ見てるだけですけど」 今どき珍しいかもしれないが、さとこと同じでネットで見知らぬ人と繋がることに警戒する慎重派タイプなのだ。 「実はうちの会社もインスタやってるんだけど、更新が滞っててね。経理の業務優先でかまわないから、空いてる時間に投稿をお願いしたいんだけど」 「私が…ですか」 正直なところ全く得意ではない分野だし、何か失敗しでかして会社の不利益になってしまったら… そう思うと乗り気ではないが、立場上仕事を選べるわけではない。 派遣先から言われた業務をこなすのが、自分の役割なのだ。 そう腹をくくり、忍は答えた。 「わかりました、やってみます」 「よかった!手がまわらなくて困ってたんだ。ログインのパスワードがこれなんで、まずは過去の投稿を見て参考にしてください。先週行った清掃イベントの写真とレポート、共通ホルダーに入ってるからまずはそれを投稿してください。参加した方の投稿ハッシュタグから見つけて、ストーリーにあげたりリアクションとかもぜひお願いします。リール投稿なんかも作成してくれてる方もいるので」 ストーリー? リアクション? ハッシュタグ??? インスタに疎い忍としては聞き慣れない言葉ばかりで一瞬思考がストップしてはてなマークばかりになったが、とりあえずパスワードのメモを受け取りデスクに戻った。 どうしようどうしようどうしよう 事務仕事なら経験豊富で自信があるが、SNS投稿なんて未知の世界。 やったことなくて頭の中がパニック状態。 こんな時咲希がいてくれたら… フォロワー何千人いるし毎日のように投稿してるからこんなのお手のものだろうし。 わからないなら松木に聞けばいいのだが、さっきからずっと電話中。他には誰もいない。 聞ける状態じゃない。 それに忍は人に聞くということをためらってしまいがちだ。 若い頃なら素直に質問できたが、この年でこんなこと聞いたら笑われちゃうかも。 そんな考えがよぎり、すぐ尋ねることがいつの頃からかできなくなっていた。 加えて人に頼らず、できるだけ自分で何とかしたいという気持ちが強い。 ちょっとしたことで質問したら、相手の手を止めることにもなるし、迷惑に思われるかも。 そう思うのは、子供の頃の経験が影響しているのだろう。 話しかけても嫌がられた体験。それがあるから、何事にも遠慮してしまう。 パソコン画面に貼りついたまま悪戦苦闘していると、時計の針はあっという間にお昼を指していた。 「僕取引先の人と打ち合わせを兼ねてランチに行くけど、竹内さんも外出するなら電話留守番モードにしといてもらえますか?」 「あっ、私お弁当なので外出ないから大丈夫です」 「そぉ?じゃあ初日からひとりにして申し訳ないけど、留守をよろしくお願いします」 松木も不在になると、急に静かになるオフィス。 ほっ… 見知らぬ場所にひとり。 人目を気にしないで済むと余計な緊張がほぐれ、むしろ気が楽だ。 「んー…」 伸びー、と身体をほぐすと気持ちがいい。 給湯室でお茶を入れ、その横にフリースペースがあるので、お弁当を食べる。 料理がとりわけ好きというわけではないが、余分な食費をかけないために基本ランチはお弁当にしている。 それが家庭的とかあらぬ誤解を各地で生むのだが、不安定な派遣で生計をたててる身としては、食費という一番日々の生活で出費の多い部分を抑えたいだけなのだ。 休憩時間もインスタの投稿の仕方についていろいろ調べてみるが、自分の付け焼き刃の知識では限界がある。 正直に言うしかないか…松木さん優しそうだし。 忍は覚悟を決めた。 「あの、松木さん。今少しいいですか?」 帰社後思いきって声をかけた。 「私インスタ投稿とかしたことなくて、何をどうしたらいいか恥ずかしい話さっぱりわからなくて…申し訳ないのですが、教えていただけないでしょうか?」 ドキドキしながら頭を下げる。 派遣の仕事をしていて一番怖いのは、何か仕事を頼まれて対処できないとこんなことも知らないの?と思われたり、言われることだった。 厳しい会社だと、ただ一度質問しただけで使えない派遣という烙印を押され、それ以降契約完了まで肩身の狭い思いをすることとなる。 口ではわからないことは何でも聞いて、なんて言う人も、忙しかったりすると一派遣の教育などしたがらない。 しかし、ここは違った。 「あ、そうでしたか…ごめんね、僕てっきり今どきの若い人ならインスタ慣れしてると思って、何の説明もしなかったね」 「いえそんな、私若くなんかないし。もう40歳なんでこういうことは不得意で…」 「40歳なんて若いですよ。僕四捨五入したら50歳ですよ」 「えっ!?」 かなり本気で驚いた。まさか自分より年上だったとは!?どう見ても30代だ。 忍は呆然と松木をみた。 「よく若く見られるんだけど、45歳なんだ。他の社員も50代とかだから、インスタとか不慣れなんだ、あはは。実質産休の子を除いたら竹内さんが一番若いんだよ」 「そうですか…」 今まではどこに行っても自分より若い子達が多い会社。自分が最年少なのは初めてかもしれない。 「だから今みたいに、遠慮なく何でも聞いてくださいね。わからないこと、わからないまま知ったかぶりされるほうが後々おたがい困ることになるから。教えを乞うことは決して恥ずかしいことではないので」 その言葉は、忍の胸を熱くした。 わからないこと、わからないって言ってもいいんだ…。 質問しても、嫌な顔ひとつせずこんなに真摯に向き合ってくれる人もいるんだ…。 にっこり笑って、松木は言葉を続けた。 「僕もそんなに詳しいわけじゃないけど、そしたら一緒にやってみましょうか。椅子隣の使っていいんで」 「はいっ」 松木のデスクで横並びになり、仕事を教わる。 こんなに丁寧に仕事教えてくれるの初めてだ…。 投稿の仕方を学びながら、今までどんなイベントがあったかを松木は語ってくれた。 ゴミ拾いをスポーツとして行う企画、ホテルのお正月やお盆のお祭りの時出店する縁日、スポーツ大会での設営や着ぐるみなど。 「僕この前地域のゆるキャラの着ぐるみ入ったんだけど、臭いし暑いしでたまんないの」 「そうなんですか!? そんなことも松木さんがなさるんですか??」 「着ぐるみの仕事をなめてはいけないよ。あれは視界も狭いし動き方も自分で把握するのは難しいし。かわいく見せる動作にはコツがあるんだ。僕に着ぐるみやらせたら右に出る者はいないんだ」 「ぜひ今度拝見したいですwww」 着ぐるみ論を大真面目に熱入れて話す姿に、忍は笑いをこらえるのに必死だった。 いい人に出会えた。 そして、いい会社にも。 忍は初日の緊張がほぐれ、ひとつ肩の荷が降りた。
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