第5話 予言

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第5話 予言

 部屋の隅に白い蜘蛛が糸を垂らしているのを知らないまま、王は空鳴き姫の前に国の地図を広げている。 「娘よ、この秋の実りはどうだろうか。例年と変わりがあるか」 「違います(同じです)、お父様」 「ふむ、それは多い方に、少ない方に?」 「多い(少ない)方です」  細かなやり取りが重ねられるごとに、控えた文官の手元の記録は厚くなる。王宮に持ち帰った後は、きっと治世の参考に使われるのだろう。  天候の変動や資源の産出量、社交界での流行や貴族の叛意の有無に至るまで、王は細かに娘を問い質していく。ここまでは、彼も何度か盗み聞きしたことがあるが──ひと通りの問いを終えた後、王は表情を真剣なものに改めて声を落とした。 「娘よ、そなたのお陰で我が国はかつてなく富んでいる。この勢いをもってすれば隣国を攻め落とすことも不可能ではないと思うのだが──そなたの目には、どう映る……?」 「お父様……」  空鳴き姫も、父に倣ってか背筋を正した。控えた文官も侍女も兵も、姫の唇を注視して息を潜める。重苦しいほどの緊張が、彼がぶらさがる蜘蛛の糸をも張り詰めさせるかのよう。そして、姫は神託を告げた。 「……我が国は、勝利を収めます(敗北を喫します)。お父様は勝利を収めた(国を喪った)王として歴史に刻まれるでしょう」  不吉なはずの予言に、けれどその場の者たちは口々に歓声を上げた。声だけでなく、人間たちが一斉に立ち上がる振動によって部屋は揺れ、彼の糸にも伝わってくる。 「そうか……! ならば良かった……!」 「ええ、おめでとうございます(お悔やみを申し上げます)、お父様」  父王に手荒く抱き締められて、空鳴き姫は祝福の(呪いの)言葉を述べる。想いと言葉が裏腹なのも、恐ろしげな言葉を美しい笑顔で口にするのも、この娘にはいつものことだ。  だが、今、父の腕の中で姫が浮かべる笑顔が強張っている気がするのは──血を散らしたような、蜘蛛の小さな八つの目で見ているからにすぎないのだろうか。  父王は、あの日を最後にここ半年ほど空鳴き姫を訪ねてはいない。代わりに森の奥の館に姿を見せるのは、王の代理の使いたちだ。戦の場面場面でどのような策を採れば良いのか、王も臣下もことあるごとに姫の神託を求めている。 「次の戦いを率いる者は、どの将が良いでしょうか」 「若い(年を取った)方よ」 「南の砦を落とすのに手を焼いております。強引にも攻めるべきか飢えさせるのを待つか、どちらが良いでしょうか」 「ゆっくりと(すぐに)待つのが良いわ(攻めなさい)」  使いの者の顔色からして、戦況はどうやら良くないようだ。神与の予言があるというのに、王や兵がかほどに無能なのだろうか。まあ、彼にとってはどうでも良いことだ。姫との時間を邪魔する者など、来ないに越したことはない。 「はあ……」  どうでも良くないのは──空鳴き姫の溜息が止まないことだ。憂い顔で俯くばかりで、たとえ歌ってくれたとしても、その声にははっきりと(かげ)が落ちている。やはり、父や国のことが心配なのだろうか。  例によって白い鴉の姿で、姫の膝で翼を休めながら、彼は密かに悩んでいる。この姿のままで良いのかどうか。人の国同士の争いなど微塵も興味がないが、姫の歌が聞けないのは嫌だった。もの言わぬ鴉の姿では慰めることもできない。しかし、もの言わぬからこそ姫は彼を友と呼んでくれるのだ。  第一、今さら人の姿で現れたところで、彼だと分かってくれるだろうか。悩みを打ち明けてくれるだろうか。いつの間にか、姫は部屋の窓を開け離して自由な出入りを許してくれているが。人の男の姿では、同じ扱いという訳にはいかないだろう。  たとえ歌ってはくれなくても、姫の指先は相変わらず彼の羽毛のくすぐり方を心得ていた。うっとりと目を閉じて、彼は心地良い愛撫に身を任せる。この数日、鬱陶しい使いがこの時間を邪魔しに来ないのは幸いだった。  侍女でさえ、もはや彼が上がり込んでいても嫌な顔をしない。今日について言えば、茶菓を置いたきり姫と彼を放ったきりだ。季節は冬が近づいているが、暖炉には火が入っていて暖かい。外の雪を慮るからこそ、姫は彼を入れてくれているのだろう。今宵の晩餐の調理が始まっているのか、どこかから軽く焦げた匂いも漂ってくる。  いや──彼はようやく気付いた。  これは、肉や脂を焼く匂いではない。山火事の時に似た、木が燃える匂い。館自体が、炎に包まれている。部屋の暖かさは、気付けばもはや夏の熱さにも等しく、火の手が間近に迫っていることを教えていた。
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