奴隷の扱い

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 グリングの死体はすぐに処理された。棺や花などない。連れてこられたときと同様に、闘技場に雇われているギルド員が引き摺り運んでいく。他人の汚物でも見るような目だった。  死体は、奴隷には入れない管理区へと運ばれていく。その先は不明。奴隷たちの間では人体実験に使われる、下水に流される、磔にして野鳥や野犬に食わせるなど様々な憶測が流れていたが、誰も真実は知らない。  グリングの部屋は最初から誰もいなかったかのように綺麗にされた。本だけは、闘技場の管理者兼経営者でもある商売人──ハロルドと交渉し、これまでのアレンの功績から要求を受け入れてくれたが、元の主人のいた形跡はそれ以外何もなくなってしまった。  奴隷がいなくなれば新しい奴隷が入る。その日消えた命の分、数日のうちに新しい命がやってくるのだ。  早朝。外の光が入らない牢獄のような道をアレンはいつも通りにぼんやりと頭をかきながら歩いていた。奴隷が行ける区域は奴隷たちの部屋がある居住区から闘技場までに限られており、居住区から先の管理区は何重にも絡まる鎖と見張りが行く手を阻む鉄扉によって決して外には出られないようになっている。居住区から扉までの間には救護室や訓練場、さらにはアレンが向かおうとしている通称「何でも屋」など生活するのには必要な施設が一応は揃っていた。  アレンが、古びた布の上に適当に商品を並べた「何でも屋」に近付くと大きな耳を持つ獣人の店主が手を挙げた。 「はい、おはようさん」  店主はすでに持っていた新聞を銅貨1枚と引き換えにアレンに手渡すと、記事の内容をまるで自分が実際に見聞きしたように披露し始める。  アレンは何も言わず、紙面を読みながら店主の話を聞き流していた。出番の日もそうでない日も関係なく、何年も変わらず続けてきた日課だ。  『カンパニアのスパイ 捕まる』『聖ギルド 連日の成果』──1面トップには、そうデカデカと見出しが紹介され、ギルドの活躍がモノクロの挿絵付きで大きく載っていた。鎧を身に着けたギルド員十数名が、スパイと思われる4人を取り囲む荒々しい絵だ。ギルド員はいかにも正義感あふれる姿で描かれ、反対にスパイの方はと言えば、悪事を企んでいそうな醜悪な顔で描かれている。 (現場に新聞社の人間がいたとは思えない。大方、想像で描いたのだろう)  1面には、他にも飲食店の新店舗の情報や気温上昇による不漁についての記事が載り、後はギルド員や求人の募集の広告が紹介されている。 (ギルド員か──日陰者には一生縁がない世界ではあるが)  ギルドに入った自分の滑稽な姿を想像しながら、アレンは新聞を裏返した。  新聞と言っても十数面もあるような新聞ではない、裏表一枚の2面だけで紙質も悪く文字も手書きで読みづらい。それでも、この世界には大量印刷の技術がないため少ない情報の割に値段は張る。本来なら、奴隷が毎日購入できるものではないため、アレンが読んでいるのは、新聞と言いつつもう3日前に発行されたものでなおかつ店主の私物をもらい受けたものだった。  情報は古くしかも奴隷の身分である以上、自分の生活とはほとんど関係がない──つまり生きていくのに全く必要はないにも関わらず、毎日貪るように読むのは、前世からの習慣のせいかもしれない、とアレン自身何度も思ったことがある。命懸けで生き逃げて得たお金。もっと実になるモノに使えばいいのではないかと。  「何でも屋」は、お金さえ積めば大抵のものは何でも手に入ることから名付けられた名だ。禁止されている酒や煙草も、普段は食せない滴るようなタンパク質の塊も──上手くやれば性のはけ口さえも買うことができる。  銅貨1枚を毎日失う代わりに、それらに使えば快楽に耽る日常を送ることができるだろう。何も考えずに戦い、貪り、遊ぶ。永久に前世の記憶を思い出さなければ、そうした道に進んだことだろう。だが、アレンの中に宿る赤羽根新は情報を欲した。  文字を追うとどうしてか心が落ち着き、文章から見え、聞こえる世界に想像が掻き立てられる。閉じ込められた石壁からは決して知ることのできない外の世界を、確かな息遣いを感じることができる。新にとって情報は、命そのものだった。 「──でよ、2面には珍しくここ(・・)に関係ある記事が載っててよ、俺はびっくりしたね」  アレンは、闘技場と書かれた見出しに目を向ける。そこに書かれていたのは──。 『闘技場 新しく美人女奴隷 華麗なデビュー戦はいつか!?』 「女だとよ女。闘技場に女だぜ! しかも美人! これは、お前、見物(みもの)だぜ!」  たなびくような長い髪。意志を感じる力強い瞳と高く整った鼻稜──記事に添えられたイラストは、アレンの目から見ても美しいと感じられた。だが、それよりも気になったことをアレンは口走ってしまう。 「これはまた、どの層からも顰蹙(ひんしゅく)を買いそうなパワーワードだな」 「パワー……あん?」  すぐに口を(つぐ)む。笑ってしまうほどにあまりにも劣悪な言葉が並んだために、新の部分が顔を出してしまった。 「ははーん、なるほどな、アレン。……お前も男だったってことか」 「…………」  口を閉ざせば多くは勝手に相手の中で解釈してくれるため、アレンは都合が悪くなると黙り込むこの技を重宝していた。 「記事になったのが3日前だろ? して、昨日の試合で奴隷が何人も死んだ。ってことはそのお目当ての美人奴隷はそろそろ──おっ!?」  急に鉄扉の外が騒がしくなる。乱雑な足音に紛れて鳥のように鋭く高い声が暴れていた。 「お、お、お!? 来たぞ、来たぞ~闘技場に女だ!」  鎖が巻き取られ、鉄扉が軋んだ音を立てて少しずつ開いていく。眩しく白い光が隙間から溢れ出し──。 「ちょっと離れなさい!! 私はこんなところに来るような人間じゃない!!」  弾んだ声。小鳥の(さえず)りなどではなく、例えるのならば猛禽類の咆哮。フルートではなくトランペット。闘技場の観客席以外では、久しく聞いたことのない甲高い声が奴隷たちの居住区に響き渡った。  しかし、アレンはその声の主から思い切り目を逸らしていた。
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