追われる者

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(こんなもんか)  散乱していた家具を部屋の奥へ追いやり、見える範囲のゴミを取り除いたあとで新聞紙を床に敷き詰めた。新聞紙が防寒対策になるのは知っていたが、ペラペラの一枚紙なので心許ない。夏だから──と言い聞かせてアレンは、今日の寝床へと横になり背中を丸める。  途端にベッドが恋しくなる。奴隷と言えどもベッドで眠れたのは快適だったのではないか。今後またベッドで眠れるようになる日が来るのか。ぐるぐるとマイナスな方向に進みそうになった思考を止めたのは、背中に当たる柔らかな感触だった。 「なあ、当たってるぞ」 「仕方ないじゃない。狭いのよ。あなたこそもう少しそっちに行けないの?」  体を起こして隣を見れば確かにエミリアはもう壁ギリギリのところにいた。足が長い分場所を取るのかもしれない。  アレンは息を吐くとまた仕方なく横になった。 「こっちも限界だ。我慢するしかないな」 「……仕方ないわね。まあ、我慢には慣れてるわ」 (我慢に慣れてる?)  すぐに喚き散らそうだが──と一瞬浮かべた考えを即座に取り消す。記憶もなく、奴隷にされて娼館へ、そしてそれから闘技場に投げ込まれて公衆の面前で辱められた。我慢できなければとっくに精神に異常をきたすか最悪自死という可能性もあった。  実際、闘技場に送り込まれた奴隷も数は少ないが自ら命を絶った者もいた。 (こいつ──記憶がないのによく意志を曲げないでいられたな)  エミリアの髪の毛が耳に当たった。小刻みに震えてくすぐったく感じる。何をしているんだ、と疲れて重い体をまた起こしたアレンの目に飛び込んできたのは、震えるエミリアの姿だった。 (泣いている?)  暗くてよくは見えない。それでも声を噛み殺している音は聞こえた。おそらくはきっと、歯を食いしばり泣くまいと必死に堪えているのだろう。  アレンは何も言わず静かに横になると目を閉じた。  夜は深く沈んでいく。闘技場の外はどんなだろうと想像していたアレンにとって、初めての闘技場以外での夜。想像していたスラムは夜でも騒がしく1日中眠ることのない街だと思っていたが、少なくともここはそうでもなかった。ただ、時折行き交う足音や小声にギルド員が来たのではと目を覚まし、なかなか深い眠りにはつけないでいた。  思い返せば、慣れる前の闘技場でもそうだった。子どもの頃はこっそりと集団部屋を抜け出しグリングの元へ行ったこともある。それより前は戦場だ。戦場カメラマンとしてあちこちに行ったが、駆け出しの頃は全く眠れなかった。  軍式の睡眠導入法というのがある。呼吸に集中し、筋肉を意識的に緩めてリラックスさせる方法だ。それを試してもなお、新人時代は眠れなかった。 (眠れないと言えば──)  アレンはミリナ・ブローヴァのことを思い出す。いつ砲撃があってもおかしくない地域で狭い家に父親と母親、そして2人の弟と住んでいて、夜中の外出は危険だったにも関わらず、よく赤羽根新の泊まる宿舎へとやってきた。新の側なら安心して眠れると言い、実際すぐに眠りに落ちていたが。  結局は生きることは叶わず、砲撃によって命を落としたのだ。 (……異世界転生。創作ではよく聞く話だ。俺が新たな生を生きているということは、もしかしたらミリナも生きて──いや、妙な期待はやめよう)  エミリアの瞳はミリナにそっくりではあったが、そんなことはよくあること。現実には前の世界であろうが今の世界であろうが、人は日々死に命は消えていく。都合よく自分の知り合いが転生して、しかも今隣にいるなんてことは確率的にもありえない。アレンはエミリアを起こさないようにそっとエミリアの方を寝返りを打った。 「……」  エミリアが睨むようにこっちを見ていた。
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