アレンの力

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 ひんやりとした空気は同時に張り詰めていた。試合が始まる直前はいつもこうだ、とアレンは息を詰める。見渡す限り灰色の狭くカビ臭い石壁の通路には屈強な男どもが十数人集まり、前方の光差す入口を見つめていた。  談笑を交わす者もわずかにはいたが、どれもが上滑りな会話に聞こえる。内心では腹の探り合いが行われており、軽妙に聞こえるジョークも虚しく響いている。ここでは誰もが同じ仲間であり、同時にまた敵同士でもあった。  集団の一番後ろについたアレンは、今日の顔ぶれを確認する。新人から、何年、何十年と生き抜いてきた奴隷。誰もが筋骨隆々で傷だらけの男達ではあるが、得意とする武器や戦闘スタイルは様々だ。  右目が潰れた赤竜の頭の男は、槍を得意とする。一方で隙あれば口から炎のブレスを吐き、複数人を一気に葬り去る。あるいは大きな翼を背中に生やしたホークマンは、その見た目通り空を自在に飛び回りながら攻撃を試みる。空中からの弓矢が得物だ。その中でも、一際巨体で壁の色にもよく似た灰色のスキンヘッドの男――ヴィポが今回の試合におけるキーマン、とアレンは見立てた。 「おい、アレン! 一緒になるなんて随分久しぶりじゃねぇか! まだしぶとく生き残っていたのか!?」  スキンヘッドの男と目が合い、アレンは咄嗟に目を逸らした。観客の人気が高いヴィポは、闘技場におけるスターのような存在。目立たぬように戦いをこなしてきたアレンは逆に人気がない。人気のある者と人気のない者、両者が共に戦いの舞台に上がるのは三月(みつき)に一回、あるかどうかだった。 「相変わらず覇気がない! 存在感が無さすぎて気がつかなかったぜ! お前、実はもう死んじまってるんじゃねぇのか?」  男はアレンに近づくと、何度も肩を叩き豪快な笑い声を上げた。 「やめな、ヴィポ。あんたが小突くたびにアレンの体が地面にめり込んでってる。試合の前に死んでしまう」 「ガハハハ! 悪い、悪い。せいぜい頑張れよ! 悪運のアレン」  ヴィポは、アレンから手を離すと笑いながら集団の中に戻り、別のターゲットを脅かしていた。巨体だけでなく見た目通りの腕力は、体格に恵まれていないとはいえ、もう成人になるアレンの身体を軽く押しただけで石床に足先をめり込ませた。その気になればおそらくは人形のように握り潰すこともできる。 「大丈夫か」  間に入り、手を差し伸べてくれたのは、犬の頭をしたコボルト族だ。顔には皺が寄り、目は窪み、茶色の毛並みの色も悪い。その顔からは栄養が足りないだけではなく、もう引退しなければいけない年齢を感じさせた。 「助かる」  ひとり言のように小さな声で呟くと、アレンは手を握り石床にめり込んだ両足を脱出させた。コボルトの老犬は、耳をピンと立てて頷くとじっとアレンの目を見つめた。 「……何?」  あまりにも見つめられているために、アレンは疑問を呈した。  老犬は微笑んだ。 「質問してくるとは珍しいな」 「……そっちが何か言いたげだから」  言いながらも違うな、とアレンは思う。いつもは絡まれないように気まずい雰囲気を察しても決して口は開かずその場を去る。 「確かに。そうだ──なあ、アレン、お前いくつになった?」  質問の意図が読めない。だから正直に答えることにした。 「18」  それを聞くとまた耳が嬉しそうに上がる。コボルトの感情表現は豊かでわかりやすかった。 「もう成人か。だとしたら10年以上はここに」  コボルトがゆったりと話をしている間にも、そのときは刻々と近付いてきていた。心臓が大きく動くように、ざわめきが起きる。 「生き逃げろ、アレン」  言葉はアレンには届いていなかった。地底から響くような太鼓の音に、高らかなトランペットのファンファーレが開幕の時を告げたからだ。  男どもに交じり、一番最後にアレンは光の下へと出た。真四角に切り取られた石が敷き詰められた床に、ぐるりと囲まれた円状の観客席。円形闘技場──日々死闘が繰り広げられる奴隷たちの戦いの舞台だ。  拳を振り上げ、あるいは身体を揺すり、思い思いに声援や罵声を浴びせる超満員の観客たちを眺めながら、アレンは腰からナイフを引き抜いた。  両目を意識的に大きく見開く。時が静止し、闘技場は四角く区分けされたフィールドへと変わる。アレンの目にはその一つ一つに敵が配置され、直線上に進む時間軸に沿って動いているように見えた。 (……さて、今日も適当に生き逃げるとするか)
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