不埒な男

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 黒瀬さんが置いてくれたらしい服を見つけ、着替える。  リビングに顔を出すと、黒瀬さんがソファーで本を読んでいた。  スーッと通った鼻筋が美しい横顔で、思わず見とれてしまう。  私の視線に気づいたのか、彼が振り返って微笑んだ。 「おはよう」  どきん。  私の心臓が飛び跳ねた。  ただ挨拶されただけなのに。  うろたえた私は早口に言った。 「おはようございます。私、帰りますね」  恥ずかしいような落ち着かないような気分で、いたたまれなかったのだ。  黒瀬さんは片眉を上げた。 「そんなに急いで帰ることもないだろう」  引き留められたが、私は首を横に振った。 「明日からまた普通に仕事ですよね?」 「あぁ、文が丘の件はいったん落ち着いたから、今度は神野リゾートの基本計画を手伝ってもらいたい」 「だったら、やっぱり家に帰って、洗濯とかしたいです」  私がそう言ったら、黒瀬さんは納得したようでうなずいた。  立ち上がって、そばに来て、腰を引き寄せると、私の額にキスをした。   「そうか。じゃあ、また明日な」  口端を上げて微笑む顔はいつもと同じはずなのに、正視できないほど格好よく見えてしまう。  だめだわ。早く帰って落ち着こう。  私は荷物をまとめて、逃げ帰った。  家に帰って、掃除や洗濯をしながら、頭の中は黒瀬さんのことで埋め尽くされていた。   (嫌いだったはずなのに……)  惹かれてやまない自分がいる。  抱かれたから? ううん、本当はずっと惹かれていた。  最初は彼の創り上げる建築に、魅力的なプレゼンに。そして――。    パンッと自分の頬を叩いた。 「どっちにしても、仕事中はこんなふやけた顔してちゃだめよね」  気合いを入れる。公私混同は嫌だ。  私が必死で平常心を保とうとしていたのに、翌日事務所に行ったら、黒瀬さんはいたって普通だった。さっそくガンガンに仕事の指示を飛ばす。  さすが大人の男よね。余裕がある。  でも、そうならそうで、少しぐらい甘い顔を見せてくれてもいいのに、なんて思ってしまう。  そんなことを考えながらきっちり働いた金曜日の定時後、帰ろうとしたら、黒瀬さんの腕に囲われた。 「なに帰ろうとしてるんだ?」  後ろからハグされて、耳もとでささやかれる。  さっきまで真面目な顔で設計してたくせに、色気が垂れてきそうな声だ。  一瞬で全身の血が湧きたち、熱くなる。  池戸さんは帰ったあとで、プライベートな時間に突入したらしい。 「ずっと我慢してたんだから、泊まっていけよ」  顎を持たれて、顔だけ彼のほうへ向けられる。  なにをと聞くまでもなく、その熱を帯びたまなざしに中てられ、身体の奥が疼く。  くすぐるように頬を撫でられ、キスされる。 「でも、なんの用意もしてませんし」 「またコンビニで買ってきたらいいだろ?」    少し抵抗するふりをするけど、黒瀬さんは強引に誘ってきて、それをうれしく感じる私がいた。  結局そのまま甘い夜を過ごした。
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