好き

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「……もう一度言って?」  瞳が潤んでくる。  本当に信じてもいいの?  そんな私の疑念を感じたようで、黒瀬さんがきっぱり言った。 「瑞希が好きだ。本気じゃないのに取引先の女性に手なんか出さない」 「だけど、今までもいろんな噂が……」 「やっかんだ奴が適当なことを言ってるだけだろう。俺が欲しいと思ったのはお前だけだ」  まっすぐに私を見て、甘い言葉を吐くこの人を信用していいのかな?  そう思いながらも、信じたい気持ちのほうが大きくて、私は彼のシャツをくしゃりと握りしめた。  嘘がないか、その瞳をじっと見つめる。 「……どうやらわからせないといけないようだな」  私の唇をゆっくり指で撫でて、彼はニヤリと笑った。完全に悪い男の笑みだ。  ぞくりと背筋が官能に震える。 「わからせて……」  私は彼の首もとに腕をからませた。  クッと喉奥を鳴らした彼は私の後頭部を掴むと、唇を押しつけ、脳がしびれるほど深いキスをくれる。  その夜、私は愛をささやかれながら、熱くて甘い時間を過ごすことになった。    ***  黒瀬さんの愛が身に染みたところで、彼が説明してくれた。  私はくったりして彼の腕の中に囲われたままだったけど。  黒瀬さんは学生のころ、どうしても建築家になりたくて、神野リゾート開発を継ぐのを拒否した。それで、父親の怒りを買い、親子の縁を切られたそうだ。  神野家では黒瀬さんの話はタブーで、綾香さんは兄と呼ぶことさえできずに、『諒くん』で落ち着いたらしい。先日のコンペは綾香さんが黒瀬さんに神野リゾート開発の仕事を受けてほしいと願い、参加したものだった。親子の和解を目論んで。 「じゃあ、やっぱりあのコンペは出来レースだったんですか?」  つい不満げに聞いてしまう。  そういうタイミングじゃないとは思うんだけど、やっぱり悔しかったから。 「いや、逆にこれ以上ないほど公正に審査されたよ。親父は俺の案を使いたくなかっただろうし。まぁ、少しは認めてくれたみたいだが」 「そうなんですね。よかった」  ほっとしたら、なぜか「かわいいな」と額にキスされた。  赤くなって、額を押さえる。 「な、なんで?」 「そうやって、仕事に一生懸命なところも好きだ」  そんなことを言われるから、ほてりが収まらない。気軽に好き好き言い過ぎじゃない?  ニヤニヤしていた黒瀬さんだったけど、表情を改めて、続きを話した。 「俺が家を出てしまったから、残された綾香にプレッシャーがかかって、不眠症になってしまった。しかも、この間は、親父が綾香の結婚相手を見つけたと言って、急にお見合いをすることになったから、精神不安定になって、うちに来たんだ。翌日、綾香をカウンセリングに連れていって、なんとか落ち着いてくれたが」 「そうだったんですね……」  黒瀬さんが大変なときに、私は盛大に勘違いをして落ち込んでいたのが恥ずかしい。  私の考えていることを察したようで、黒瀬さんは私の頬を撫でて言った。 「まさかお前にとんでもない誤解をされてるとは思いもよらなかったけどな」 「ご、ごめんなさい」 「いや、気がつかなかった俺が悪い。瑞希がどう思うか、考慮すべきだった」  甘く見つめられ、胸がいっぱいになる。  その声はあのとき聴いた優しいものと同じだ。
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