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黒瀬さんが雑に紹介してくれたので、私は頭を下げて、自己紹介した。
「昂建設計の有本瑞希です。よろしくお願いします」
「よろしく。池戸浩平です。助かるよ。いつもはもう少し人がいるんだけど、工事管理の案件が重なっちゃって、出払ってるんだよね。今は猫の手も借りたいくらい、てんやわんやで……」
「浩平、猫の手は失礼だぞ。瑞希ちゃんは昂建設計の若手エースだ。お前よりよっぽどセンスがいい」
「それはそうでした。ごめんね、有本さん」
挨拶に続けてぼやいた池戸さんを黒瀬さんがたしなめた。
池戸さんはいい人そうで、すぐ謝ってくれる。
黒瀬さんにそんなふうに評価されているとは思わなかったので、ちょっとうれしくなってしまった私は単純だ。
でも、やっぱり瑞希ちゃん呼ばわりなのねと顔をしかめる。そう呼ばれると軽く扱われている気になる。
「いえ、まだぜんぜん勉強中なので、いろいろ教えてください。あと、黒瀬さん、名前呼びはやめてくださいって――」
「晴れて仕事仲間になったんだから、いいだろ?」
「よくありません!」
「はいはい。じゃあ、有本さん、こっちに来て。作業を説明するから」
意外にも彼は呼び方を改めてくれた。軽い彼だけど、やはり仕事モードは違うのかもしれない。
中央の長机に移動して、並んで腰かける。
黒瀬さんは図面を広げた。
見覚えのある基礎データと初めて見る基本設計。黒瀬さんのプレゼン資料とともに、その裏付けとなる緻密な資料もあった。
その図面や資料を詳しく説明してくれて、黒瀬さんは言った。
「よし、じゃあ、まずは俺の作ったプレゼン資料と基本設計を読み解いて、エントランス部分から設計を始めてほしい。バックデータはここにある。質問があったら適宜聞いてくれ」
「承知しました」
「机はどこでも空いてるところを使っていい。うちはフリーデスクなんだ」
「わかりました」
私は池戸さんから一つ置いた隣のデスクに座った。
パソコンのID、パスワードをもらって、立ち上げる。データはクラウド上に保存するそうだ。
添付してあるデータを見ながらプレゼン資料を読むと、黒瀬さんが緻密に計算して作っているのがわかる。メモを取りながら、読み進めていく。
(すごいなぁ。これなら、変なコネを使わなくてもコンペに勝てるじゃない)
山田主任が言っていた話をまた思い出して、残念な気分になる。
これだけの事務所と人員を維持するには確実に仕事を取る必要があるのかもしれないけど。
気を取り直して、私は資料を読み込んでいった。
とてもわかりやすい資料で、黒瀬さんの設計思想が明確に伝わってくる。
(頭のいい人なんだろうな)
ちらりと彼を見ると、目が合って、ウインクされた。
悪い男の笑み。
心臓が跳ね上がる。
あの軽さがなければ、もっと尊敬できるのに!
ふいっと目を逸らし、私は作業に戻った。
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