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不満げに言うと、黒瀬さんはいつものように口端を曲げた。でも、めずらしく目が笑っていない。彼は軽い口調で言った。
「ふぅ~ん。昂建設計では机上の空論を教えてるってわけか。だから、コンペに勝てないんだよ」
「なっ!」
けなされて、カッと頭に血が上った。
私のことだけじゃなく自社のことまで言われる筋合いはない。
「たかが0.2度の違いでなんでそこまで言われないといけないんですか!」
いらついて叫んだ。
やっぱりこの人嫌いだわと思いながら。
黒瀬さんは皮肉な笑みを崩さず、尋ねてきた。
「これはなんのためのスロープだ?」
「車椅子やベビーカーが通るための……」
「そうだ。わかってるけど、わかってないんだな」
あきれた表情をされて、むっとする。そんなにこだわるところだろうかと思ったのだ。
上から目線なのもむかついた。そりゃあ、彼からしたら、私はひよっこだろうけど。
「だから、ちゃんとバリアフリー法の基準は守ってます!」
「最低限の、な。……まぁ、いい。ちょっとついてこい」
黒瀬さんはいきなり車のキーを取り、上着をはおって、外出しようとする。
時間がないのに、出かけてる暇はないと思い、私は呼び止める。
「ちょ、設計はどうするんですか!」
「そんなに時間はかからない。池戸、少し出てくる」
「はい、いってらっしゃい!」
そっけなく告げて、黒瀬さんはさっさと外へ行ってしまう。
私は慌ててその後を追いかけた。
彼は事務所横の駐車場に停めてあった車に乗り込もうとしていた。
近づいた私に気づいて、目で乗れと合図する。
「どこに行くんですか?」
「行ったらわかる」
私がシートベルトを締めたのを見て、発進させた。
すぐ着くと言ったわりに三十分ほど車を走らせて、着いたのは緑あふれる前庭のある建物だった。看板を見ると、老人ホームのようだ。
車を降りた黒瀬さんはちょうど通りかかった従業員らしき人とにこやかに挨拶を交わした。
「あら、黒瀬さん、また来てくれたんですね」
「また来ました。お邪魔します」
「皆さん、大歓迎だわ。ごゆっくり」
どうやら何度もここに来ているらしい。
建物を見ると、黒瀬さんの設計したものに見えた。
案の定、彼は言う。
「ここは駆け出しのころ、俺が設計したものなんだ」
自分のすばらしい設計を見せつけるつもりかと私は小さく溜め息をついた。
今日は快晴だったので、庭には高齢者の方たちが出てきていて、散策したり、車椅子で移動したりしていた。
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