黒い法服

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 この事件は、日本中を恐怖に陥れた。  今の日本の国力では、とてもR帝国には太刀打ちできないからだ。  まして、R帝国は現在、海軍を率いて来日している。  いつ報復攻撃を受けてもおかしくない。  日本中の学校では、謹慎の意を表するため休校となった。  日本中の神社、寺、教会では、R帝国皇太子の傷の治癒を願っての祈祷が行われた。  皇太子を見舞う電報は一万通を超えた。  手紙や贈り物も数多く届けられた。  明治天皇は、拉致されるのではとの周囲の反対を押し切り、R帝国の艦艇を訪れ、再度、皇太子に面会して見舞いと謝罪を行った。  R帝国皇太子は、 「自分は負傷したが、日本国天皇陛下をはじめ、日本国民が示してくれた厚意に感謝している。日本での外遊を継続するかについては、父母の指示を仰がなければならない」 との声明を出した。  結局のところ、R帝国皇帝からは帰国命令が出されたため、日本での外遊は正式に中止となり、帰国することとなった。  明治天皇自らが幾度も見舞いと謝罪を行ったにも関わらず、R帝国皇太子が中途にて帰国することとなり、日本国民の中には、 「このままでは天皇陛下の面目が立たない」 と、悲嘆に暮れて自殺する者まで現れた。  日本中がこの事件で、大混乱になる始末であった。  そして、日本国民はR帝国の報復を恐れていた。
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