サンコール待ってから。

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ポケットの中でスマホが寒そうに震えた。 でようかでまいか迷っていたら切れてしまったので、すぐさま掛け直しノーコールで話し出す。 「うまくやってるよ、一応」 「…ばーか」 表情の読めない冷たい声が懐かしい。 長年の付き合いから察するに、先程のバカには心配させるな的な意味が含まれているのだろう。 電話の向こうの彼に“元気そうで良かった”という気持ちを込めてごめんと返す。 「や、元気なら…いいんだ…それで……」 小っ恥ずかしいのか、しどろもどろな彼の言葉には、先ほどとは打って変わって感情が込められていた。文明の力が創り出した私たちの透明な空間の中に沈黙が落ちる。 日本に初上陸してから数週間経ち、やっと時差と湿った空気に体が慣れて来た気がする。 初めはカルチャーも、制度もなんでも違かった。だから海を挟んだだけでこうも世界は変わってしまうのかと驚きを超えて興味深い…そんな気持ちは一才無い。 事前に箸の使い方や日本語やこっち特有のマナーやルールは教わっていたから意思疎通や日常生活に苦労はなかった。しかし憧れ胸を躍らせていた日本そのものが思ったよりも埋もれている所為で、日本の断片だらけだった古巣に懐旧の情を覚える毎日である。 「でも流石に黒塗りのパトカーがサンタに見えたのはやばいと思った」 「よりによってあれ(パトライト)かよ」 聖なる日にお縄を持ってこられても嬉しかねぇなと、電話越しで彼が自嘲的に笑った。 「笑い事じゃないんだってば!めちゃくちゃ焦ったんだかんね。夜も明るすぎるしさー」 「確かに…まぁ慣れだ慣れ」 「適当だなぁ」 苦笑いを噛み締めながらぼんやりと溜息を溶かす。 夜の寒さは嫌と言うほど体に染み付いているのに、こちらの寂しさを孕んだ夜中のやり過ごし方はまだ全然慣れることができていなかった。 せっかく言葉が通じるのに、誰も彼も他人に興味がないとでもいいたげにマフラーに顔を埋めて下を向いている。 「ルービックキューブ」 「いや急になに」 「練習して慣れたら、マスターしただろ」 見ないように気をつけていた水たまりには昔の私が映っていた。 「…したけど」 彼が私を励ますなんて、明日は天地がひっくり返るのだろうか。 不吉な言葉が返ってくる前に、逸る心臓と乱れそうな呼吸をしながら、顔を上げた。 短く白く濁った息や、私を道路越しに超えていく車の幻影が青や赤やそれらを交えた妖艶な色色で彩ってゆく。 綺麗、と思った感情がいつの間にか口から漏れていた。 「いい加減なお前ならうまくやれんだろ」 それはまるで今世のお別れの言葉のようで。水溜まりの私がニヤリと笑っている気がした。 「それどういう意味?」 「…」 彼はそれきり、黙ってしまった。 捕まる人は、悪いことをした人だと教わるのはどこの国だって同じなのだろう。謝って許される問題もあれば、そうじゃないものもある。けれど、それはきっと視点の違いが織りなす錯覚的な甲乙しかないのではと思ってしまう時が無いわけじゃない。 戦争孤児だった私たちが生きていくためには、仕方ないことだった。 彼がしたこと、それはきっと許されることではない。…それからわたしがしたことも。 多分決して褒められるべきことではないだろうけど、仕方のないことだ。 救済のために必要な事で、反社会勢力みたいに無闇矢鱈に攻撃しているわけでもなし、主張を通すために犠牲を出してるわけでもなし、ただただ金のために必要なのだと先輩も言っていた。 まぁ、金のためになんでもする組織だと言われたらそこまでだけど。大義のためには犠牲が必要だったわけで。綺麗事だけで実情を変えたい考えなんて、底辺を這いつくばって生きていた頃に亡くしてしまった。 私の普通と日本の普通が違うみたいに、お互い距離を保って表面的に向き合えさえいればそれでいい。 だって、神様なんてどこにもいないこの世の中で誰が一体正しさなんて不明瞭なことを決められるのだろう。 「おーい」 物思いに耽っていた私を連れ戻したのは電話越しの声だった。 ぼんやりしているところのある私がいつも同じだと思えなかったらしく、どこか心配するような声色は、燦然とした光の中へ吸い込まれてゆく。 「…ねぇ、彼は死んだの」 彼の声に似た誰かの声は、静かに「うん」と呟いた。漠然と佇む私の下にできた水たまりから出てきた幻想が、『  』と耳元で呟く。 眩しすぎるこの街で、上を向いて雨に降られているのは私だけだった。
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