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32 クロエ、子猫を追い掛ける
待ち合わせの時刻通りに部屋へ来てくれたロッソと共に、私は食糧庫へ来ていた。天井から吊るされた豚や牛などの肉塊をなるべく目に入れないようにしながら倉庫の奥へ進む。
山盛りに積まれたカゴの中のリンゴをいくつか手に持って、大きさを比べながら二人で選りすぐった。パイの中に入れて焼くもの、そして上に飾り付ける用にも必要だ。
食糧庫の中は迷路のようになっていて、勝手を知らないと迷ってしまいそう。ロッソは新任なのに飲み込みが速いようで、スイスイと道を進む。
先を歩くネズミの後ろを追い掛けながら、私は少し歩みを緩めてもらうように頼もうと口を開いた。
「ロッソ───、」
その時、視界の隅で何かが動いた気がした。
身体ごと振り向くと、三列ほど並んだ棚の向こうに区切られた小さな部屋がある。扉が開きっぱなしになっていたので気になって近付くと、部屋の中でごろんと腹を見せる子猫の姿を見付けた。
(迷い込んでしまったのね…大変だわ)
食材が食い荒らされてはいけないし、こんな場所に住み着いても困る。私は地面に屈んで、怖がらせないようにしながらそっと猫の方へ手を伸ばした。
動物の声真似をしてみたところ、チラッと一瞥した後で小さな毛玉はこちらへ駆けて来る。しかしながら、クールな猫はそのまま私に構うこともなく、わきを走り抜けて外へと出て行ってしまった。
それでは私も、と腰を上げた後ろで扉の閉まる音がした。
目を向けると今しがた潜ったばかりの金属の扉が閉まっている。ドアノブに手を伸ばしたけれど、ピクリとも動かない。内部からは開けられない構造になっているようだ。
さらに最悪なことに、扉の向こう側は電気が消えたように暗くなっていた。やがてヴヴンッという音と共に、小部屋の照明も落ちると、辺りは静寂に包まれる。
(………? なんだか……)
周囲の空気を冷たく感じた。
部屋自体が冷えているような冷たさだ。
びっくりして目を走らせると、薄く光るガラスケースの中に並ぶのはどれも冷凍保存された肉の塊。ここは凍らせた食べ物を保存する冷凍庫なのだろうか?焦る気持ちを抱えながら「きっとロッソが戻って来てくれるはず」と願った。
だけど、彼女は私がこの部屋に入ったことを知らない。
猫を追い掛けて迷い込んだのも知らなければ、途中でロッソの歩くスピードに置いて行かれていたことも知らないだろう。食糧庫全体の電気が消えたのは、私が先に倉庫を出たと思ったためなのだろうか。
(……どうしよう……どうしたら、)
私が居ないことに気付いたロッソが探しに戻ってくれるだろうか?
ロッソは目が見えない。そして彼女は、言葉も話せないはず。クジャーヤや他の使用人に伝えて、皆で協力して探してくれたら良いのだけれど。
徐々に部屋の温度が低くなっている気がして、私は脚を折って縮こまった。少しでも熱を逃すまいとスカートで膝を包むようにして、腕で抱きかかえる。
あとどれくらいで助けが来るのだろう。
考えても仕方がないのに、経過した時間のことを考えてしまう。この先どれだけの間、この寒さが続くのか。部屋はいったい何度まで冷え込むのか。
このまま夜を迎えるのではないか?
そんな恐ろしい考えが頭を過ぎって怖くなった。
断罪された悪役令嬢が穏やかな生活を楽しんでいたから、バチが当たったのだろうか。運命に逆らって、物語の枠を出てしまったから神様が怒ったのかもしれない。
自分の立場も顧みずに、誰かの幸せを願ったりして。
あわよくば、自分も愛されてみたいと望んだから。
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