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34 クロエ、役割を再認識する
ここ最近、考えることがある。
“私がペルルシアの王女だったら──“、と。
「クロエ様!聞きましたよっ!私が不在の間に冷凍庫に閉じ込められてしまったとか……?」
バーンと部屋の扉を開けて飛び込んで来たバグバグの方を見て私は自然と嬉しくなった。彼女は三日間の休暇を終えて無事に城に戻ったのだ。
「ええ、でも大丈夫よ。すぐに皆が見つけてくれたし」
「ロッソも酷く反省していました……なにぶんまだ新人なので、どうか今回は…」
「安心して。私は彼女を咎めたりしないわ」
「ありがとうございます……っ!」
バグバグの背後に隠れていたロッソがペコリと頭を下げる。
ギデオンからも何度も謝罪を受けたし、もともとは私が歩くスピードが遅かったり、道を逸れたことが原因なのでロッソを責めることは出来ない。
それからは気分を良くしたバグバグによる旅の土産話が始まって、私は彼女が海岸で拾ったという綺麗な色のシーグラスをもらった。レモンの蜂蜜漬けのような薄いイエローのガラスは、まるで魔王の瞳のようですぐに気に入った。
「やはり、長年連れ添った夫婦にとっても旅行というのは良い刺激ですね!夫とはもう二十年余り一緒に居ますが、なかなか燃え上がる夜でした」
「……っ、バグバグ!?」
「あ!ごめんなさい、つい!だけど魔族にとって愛はとても大切なのです。なんと言っても魔力の源ですから」
「………魔力の源?」
語尾を上げて聞き返す私を見て、バグバグは不思議そうに目を丸くした。
「あら?てっきりクジャータから説明を受けていらっしゃるかと思いましたが、まだでしたか?」
「いいえ、私は魔族の歴史についてしか……」
そうですか、と頷いてバグバグは少しだけ間を取る。
口元に手を当てると意を消したように口を開いた。
「私たち魔族は……他者からの愛を根源として力を発揮します。だから、誰かから愛されないと本来の力を発揮することが出来ません」
「……それは、どんな愛でも良いの?」
「友愛、家族愛…種類は問いません。ただ、相手を慈しみ、想いを向けることが大事です。こんな見た目をしているのに、愛を語るなんて烏滸がましいかもしれませんが……」
「そんなこと、」
私の頭にはずっと、ギデオンの姿が浮かんでいた。
パートナーを持たずに一人で生きて来た魔王は、消耗した魔力は眠れば戻ると言っていた。彼が番を作って互いに愛を与え合うことが出来れば、不安定な魔力も安定するのではないか。しかし、王女が彼を愛さなかったら……?
暗くなった私の顔を見て慌てたバグバグは腕を振りながら言葉を続ける。その後ろではロッソが朝食の片付けを始めてくれていた。
「も、もちろん、身体を休めることで多少の回復はあります!それこそギデオン様はそのようにされていますから」
「そう……ねぇ、バグバグ、変な質問だけど…」
「どうしましたか?」
「ギデオンはどうして王女に拘るのかしら?やっぱり、迫害された歴史を、復習を果たすことで塗り替えたいの……?」
「それは…たぶん、あると思います」
バグバグの反応を見て、私は彼女が早くこの話から離れたいのだと悟った。いつもは穏やかな彼女が、落ち着きのない様子でチラチラとロッソの方を見ている。
(こんなこと聞いて、何にもならないのに……)
私は唇から滑り落ちそうになった言葉の続きを飲み込んで、口を閉じた。「図書室に行ってくるわ」と伝えて部屋を後にする。長い廊下を一人で歩きながら目の奥がツンとした。
魔族が愛を糧に生きるのであれば。
魔力の源が他者からの情愛であるなら──
私ではダメなのだろうか?
孤独に生きる魔王を包み込んで、愛を与える役割は、私では役不足になるのか。私ならもう城の勝手を知っているし、使用人の事情も理解している。ギデオンと食事を共にしたし、身体の関係だってあるんだから。
「………なんて、無理に決まってるでしょう」
風俗嬢が客に恋するぐらいバカな話だ。
彼らが求めているのはその時間と都合の良い関係。
そうした行為に応じることで私の価値は生まれるのであって、例えば私が老いて皺くちゃになったり、夜伽が務まらなくなったらギデオンは私を必要としなくなるはずだ。
自分で選んだ道なのに勝手に落ち込んでしまう感傷的な心を叱責して前を向く。あとひと月ほどで私はこの場所から離れることが出来る。グレイハウンド家の、婚約破棄された意地悪な令嬢に戻れば、いくらか気持ちも落ち着くだろう。
それこそが、本来の私が収まるべき役なのだから。
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