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35 クロエ、自覚する
「ねぇ、ギデオン」
膝の上で目を閉じる魔王の銀髪を撫でながら、私は声を掛ける。少しだけ瞼が震えて黄色い双眼がこちらを見た。
「どうした?」
「バグバグがね、島の西部にあるビーチの話をしてくれて……すごく良かったと言っていたから行ってみたいの」
「白砂丘のことか?」
「白砂丘?」
「ああ。西の海沿いに広がる白い砂丘がある。彼女はきっとそこへ行ったんだろう。珊瑚の死骸が集まって砂浜を形成しているんだが、踏むと面白い音がするんだ」
ふんふん、と話を聞きながら鳴き砂のようなものだろうか、と頭の隅で考えた。
サイドテーブルの上に置かれた時計は零時を過ぎたばかりで、私たちは身体を重ねた後の小休憩を取っていた。こうしていると、まるで本当の恋人のようだと思う。
私はライアスとこうした時間を過ごした記憶はないけれど、きっと仲の良い恋人同士であれば、熱っぽい時間を過ごした後には穏やかに話し合ったりするのではないか。
(………いけない、私ったらまた…)
ハッとして邪念を追い払うように頭を振ると、ギデオンの方を向き直って「どうかしら?」と尋ねた。もう来週には最後のひと月の入るので、思い出作りにという気持ちもあった。
「構わない。そんなに遠くない場所で日帰り出来るから、明日にでも行ってみよう」
「あ……あのね、出来ればもう少しゆっくり…」
旅行できたら、と消え入るような声で言い添えると、ギデオンは少し考える素振りを見せて「分かった」と言ってくれた。
「ごめんなさい……無理を言って」
「良いんだ。クロエには世話になっているからな、他に行きたい場所や見たいものはないか?何処へでも連れて行こう」
「うん、もう大丈夫」
優しい声音に心が安心する。
ギデオンはいつも私のことを気遣ってくれて、心配してくれる。本当に魔王らしくない。初めこそ無理矢理連れて来られて困惑していたけれど、今ではすっかりこの生活に慣れてしまった。彼が居るこの場所も好きになりつつある。
バグバグの話では、魔族は愛を与えられると力が漲るらしい。それは友愛でもなんでも良いのだと言っていた。ならば、私が与えることも出来るのだろうか?
「ギデオン、目を閉じて」
「……? どうした?」
「お願い少しだけ………」
不思議そうにしつつも魔王は瞼を下ろす。
私は精一杯の気持ちを込めて、その瞼に口付けた。どうか彼が、この先も誰かから愛されることを願う。彼の隣に居る人が不器用な優しさを理解して、愛しいと思ってくれますように。末永く添い遂げてくれるように。
どうか、どうか。
私じゃなくても良いから。
「………クロエ?」
「ごめんなさい、もうおしまいです。お祈りをしたの」
「何か……あったのか?」
「ううん。ただ、祈りたかっただけ」
「どうして泣いているんだ?」
ギデオンの手が私の頬を包み込む。
触れた指先に目尻を拭われて、私は黙って首を振った。
気付いたことがある。
私はギデオンに触れられたり、その声で名前を呼ばれると嬉しいと思う。笑顔を見ると心臓は慌ただしく騒ぎ出す上に、近くに居なくても彼のことを考えてしまう。夜になるのを待ち侘びて、期待している。
最悪なことに、どうやら恋をしていた。
悪役令嬢は二度目の失恋に向けて生きている。
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