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37 クロエ、言葉を止める
「あ、あの……もしかしてギデオン様と喧嘩なさったりしたのですか……?」
翌日、いつものように夕食を食べていたらバグバグが言いにくそうな顔で尋ねて来た。
私はその言葉を受けて自分の向かいの席を見る。
この城の主が腰掛ける椅子は今日は無人となっていた。
昨日の夜からもうすぐ丸一日が経過するけれど、ギデオンは私を避けているかのように自室に引きこもっている。拒絶し過ぎただろうか、と心配になって溜め息を吐いた。
「………いいえ。そんなことはないの」
「そうなのですね。安心しました…」
「心配を掛けてごめんなさい。私の方から彼の部屋に行ってみるわ、様子を後で見てみるから」
そう伝えると、バグバグはいくらか安心したように頷いた。
ギデオンは本当に私が言ったことを気にしているのだろうか?人間より繊細な魔王の心境がよく分からない。確かに彼の発言に対して注意はしたけれど、それほど酷く言った記憶はなかった。
愛している、と簡単に口にするから叱ったのだ。
その言葉は軽々しく使うものではないと私は教えてあげた。閨の勉強のために夜伽相手の女に吐く台詞にしては、少し強すぎるから。私が錯覚してしまう。
また心臓が忙しなく騒ぎ出したので、食事の礼を言って、私はギデオンの部屋へ向かってみることにした。
◇◇◇
「………ギデオン?」
ノックの後に返事があったので入ってみると、魔王は机の上に肘を突いて顔を埋めていた。
「気分が優れないのですか?皆が心配しています」
そばまで歩いて行って腰を屈めて覗き込む。
両手に包まれたギデオンの顔までは見えない。
どうしようか、と思っていたら指の隙間からくぐもった声がかすかに聞こえた。私は再び彼の方へ顔を近付けて耳を澄ます。
「クロエに…嫌われたくない」
「え?」
「昨日怒らせたから、嫌になったんだろう」
叱られた子供のようにそっと、黄色い双眼がこちらを見つめた。大きな身体をした彼がそんな真似をするのはなんだか面白くて、私はプッと吹き出す。
「嫌いになったりしないわ。もう怒っていない」
「本当に……?」
「ええ。あなたが大切な言葉を冗談で使ったから腹が立っただけ。ああいうのは本当に大事な人のために取っておかないとダメですよ」
「………そうなのか」
ギデオンはそう言ってまた俯いた。
大人の男のように貪欲に私を抱くくせに、この魔王は時々小さな子供みたいに弱々しい顔をする。そのギャップは私を困惑させて、また深い沼に心が落ちそうになった。
「難しく考えることじゃないの。あなただって嘘を吐かれたら悲しいでしょう?好きだとか愛してるって、思ってもないのに言われたらどう感じる?」
「嬉しいと思う」
「…………、」
見上げた瞳は純粋で無垢。
私は視線を受け止めて息を呑んだ。
「嘘でも何でも、嬉しい。そんな言葉は今まで言われたことがないから、例え本当じゃなくても、俺は嬉しい」
あまりにも真っ直ぐに見つめるから、うっかり本音が溢れそうになった。夜伽の女で良ければいくらでも伝えると。私ならばあなたのことを愛することが出来ると。
すんでのところで唇を噛み締める。
無理矢理に笑うと頬が突っ張る感じがした。
「………そう。王女に言ってもらえると良いわね」
「人攫いに絆されるとは思えないがな、」
ギデオンは拗ねたように口を尖らせて席を立った。
デザートを食べたい、と言うので冷たいアイスクリームを貰いに私たちは並んで食堂まで歩いた。同じように歩いているのに、私たちはお互い違う未来を見ている。
恋人みたいにキスをするのに、魔王の心はいつだって私の手元にはない。
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