39 クロエ、白砂丘に行く

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39 クロエ、白砂丘に行く

「信じられません……もう来週にはクロエ様がペルルシアに帰ってしまうなんて…」  ズビッと鼻を啜りながらバグバグが言う。  私は彼女の鼻がいったいどこにあるのか不思議に思いながら「私も寂しいわ」と答えた。嘘ではない。三ヶ月の月日は、しっかりと思い出として胸に刻まれている。 「今日からギデオン様と西部に行かれるんですよね?」 「ええ。一泊だけ出来たらと思うけど、何か話は伺っている?」 「えっと……特には……」  はて、と首を傾げるバグバグの背後でギデオンがこちらに歩いて来るのが見えた。隣には牛首のクジャータが居る。  私とバグバグが並んでいるのを見て、ギデオンはハッとしたように目を見開いた。 「………あー、悪い…クロエ、」 「どうしましたか?」 「その、実は……客人が来ることになっているんだ」 「今からですか……?」  魔王はバツが悪そうに頷く。  どうやら彼は私との約束を忘れて客に会う予定を入れていたらしい。べつに良いけれど、出発が少し遅れるのではないかと思うとソワソワする。  せっかくバグバグ一推しの観光地(と呼んで良いか分からないけど)に行けるのだから、出来れば時間は無駄にしたくない。聞いた話では夕焼けに染まる海が綺麗らしいので、なんとかしてそれだけでも間に合いたいものだ。 「大丈夫です。夕刻に着ければ」 「助かる。応接室を使うから終わったら呼ぶよ」  そう言ってギデオンは忙しそうにその場を去った。  ◇◇◇  かくして、私たちが西部の海岸に着いたのは日没の少し前のこと。  当たり前に車や列車などは無いので、以前一度だけ体験したようにギデオンに抱えられる形で運ばれることになった。背中に両手を回しているとズリ落ちてしまうので、恥を忍んで彼の首元にしがみついてみたけれど、距離が近過ぎて私の心臓の音は聞こえていたかもしれない。高所恐怖症だとでも思ってくれたら良いけれど。  バグバグの言っていたビーチは、上空からでもすぐに分かった。その辺り一帯がリアス式海岸のごとく複雑に入り組んでいる。夕陽を受けて輝く砂浜は確かに真っ白だ。 「………綺麗、」  呟くように言うと、ギデオンは嬉しそうに「間に合って良かった」と笑った。踏みしめた白い砂は確かにキュッキュッと可愛らしい音を鳴らす。  最後の思い出に相応わしい絶景。  ペルルシアでは見ることが出来ないだろう。  沈みゆく太陽が海の上を茜色に染めている。あと数分もしたらこの周辺も夜のヴェールが降りて、宝石箱をひっくり返したみたいな星々が輝く。一瞬だけの眩い光を目に焼き付けようと、瞬きを堪えて目を見開いた。 「本当に綺麗……ありがとう、ギデオン」 「感謝はバグバグにするべきだな」 「うん。バグバグにもあなたにも感謝してるわ」  ありがとう、ともう一度告げようとした唇が塞がれた。  目の端で消え行く太陽の欠片を捉えながら瞼を閉じる。このまま時間が止まったら、クロエ・グレイハウンドという悪役令嬢も幸せな終わりを迎えられると思う。物語の最後にしてはこれ以上にないラストだ。 「あのね、ギデオン」 「どうした?」  困らせると分かっていても、聞かずに居られなかった。  そうでもしないと諦めが付かなかったのだと思う。 「私じゃダメなのかしら……?」 「………何の話だ?」 「あなたの子を産む人間の女は、私では力不足?」 「クロエ……」 「私だって人間だもの、産んだことはないけれどきっと子供を産むことは出来るわ。この島の事情も理解したし…あなたのことだって、」  焦ったように言葉を重ねる私の身体をギデオンは引き剥がした。  揺れる双眼は厳しくて、私は自分が間違えたのだと知る。  勝手に舞い上がって気持ちを募らせていたのは自分だけで、この魔王はそんなこと望んでいないのだと。説明なんてされなくても、鋭い眼差しがすべてを語っていた。 「申し訳ないが…今のは聞かなかったことにする」 「…………っ、」 「お前がしてくれたことには感謝している。異質な俺たちに歩み寄ってくれて嬉しかった。でも、だからこそ、クロエの口からそんなことは聞きたくない」  もう、それ以上の無理強いは出来なかった。  私は黙って小さく頷く。  あんなに煌々と輝いていた太陽も、いつの間にか海の向こうに沈み、静かな夜が私たちを包んでいた。
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