40 クロエ、ペルルシアに還る

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40 クロエ、ペルルシアに還る

 結局、あれ以降ギデオンと私の間には目に見えない溝がはっきりと刻まれて、私たちは他人行儀な会話を重ねて最終日を迎えるに至った。  もう十分に学べた、という彼の告白を経て夜伽の関係もなくなったので、私はただ自分の身体で寝床を温めて最後の夜を過ごした。とても静かな夜だった。  三ヶ月、長いようで短かった。  最初は絶望したけれど、だんだんと受け入れて、今ではすっかり日常になっていたのに。ようやく慣れて愛着が湧いた頃にさよならだなんて、悲しい。  様々な動物の首が私を取り囲み、それぞれの思いを告げてくれる中で私は魔王の姿を探す。しかし、クジャータ曰くギデオンが朝から出掛けていて、帰りは夜になるらしい。代わりに預かった、と差し出された小さな袋を私は受け取った。 (もう顔も見たくないの……?)  もしまた会うことがあれば教えないと。  こういう時は、せめて挨拶だけでも直接伝えるのが義理というものだと。少しでも彼の中に私への感謝があるなら、短くても良いから直接別れの言葉が聞きたかった。 「………ギデオンにも宜しく伝えてね」 「はい。クロエ様も、どうかお元気で…」  珍しくしんみりと俯くクジャータの頭を撫でてみる。  被り物の下の身体まで温もりが届けば良いのにと思った。  炭鉱から来てくれたサミュエルとも言葉を交わし、バグバグと抱き合って、私は送りの船に乗るために歩き出す。孤島から北部のシルヴァヌスまでは船で一時間ほどだそうで、ロッソが一緒に来てくれるらしい。  バグバグは海が苦手で、クジャータは船酔いがすごいと言うのでネズミのロッソが引き受けてくれたわけだけど、無口な彼女も私の不安を汲んでいるのか、ずっと手を握ってくれている。私は小さな手を握り返しながら船に乗り込んだ。  ようやく両親に会うことが出来る。  北部で穏やかに農地改革に取り込めるのだ。  喜ぶべきことなのに、どうして心が晴れないのだろう。最後にギデオンに会えなかったことがまだ引っかかっているのかもしれない。我ながら、なんとも未練がましい性格だと思う。 「少し眠っても良いかしら?」  こくんと頷くロッソの小さな頭を見て、私は目を閉じた。  心地よい揺れを感じながらとろりとした夢の中に落ちていく。随分と色々なことがあった三ヶ月だったけれど、人に話しても信じてくれないだろう。  それならばいっそ、私の胸の内だけに留めて、ときどき思い出すのも良いかもしれない。辛いとき、悲しいとき、離れた島で暮らす奇妙な彼らのことを考えて、楽しかった日々のことを思い浮かべれば、フッと心が軽くなると思うのだ。不器用な魔王と、彼に仕える動物の首を被った魔族たちを思い出せば、きっと。  ガコンッと船が何かにぶつかる音がして目を開けた。  どうやら陸地に着いたようで、舵を取っていたロッソはすでに陸地に上がっている。いったいどれだけ眠っていたのかしらと目を擦りながら立ち上がる。ぐらっと船が傾いて、慌てて差し出された手を掴んだ。 「久しぶりだなぁ。少し肥えたか、クロエ?」  聞き慣れた声に驚いて顔を上げた。  視線の先で青い瞳が細められる。 「………どう…して、あなたが、」  勢いよく振り返っても、私を運んで来た船はすでに陸地を離れて手の届かない場所へと流れていた。  隣に立つロッソを見る。ネズミの首をスッと持ち上げて、その下からは笑顔を浮かべた女の顔が現れた。それはどう見ても人間の女で、魔族のようには見えない。 「ロッソ……?」 「あはっ!驚きましたか!?」 「あなた、喋れるの?どういうこと…!?」  ニタニタと笑う女に詰め寄る私の身体をライアスが抱き寄せた。忘れていた婚約者の濃い香水の香りが鼻を突く。 「よく還ったなぁ、クロエ……!お前を探し出すのに随分と時間を使ったんだ。まさか北の離島に居たなんて」 「ライアス様、なぜ今更…!」 「ビビが恐ろしいと言って泣くんだ。自分にはとてもじゃないが耐えられないと」 「なにを……、」 「出産だよ。彼女の華奢な身体じゃあ、命を落とす危険があると医者に言われてね。クロエ、お前に代役を頼みたい」 「………え?」  すぐに理解が出来なかった。  頭を強く殴られたような衝撃がある。久しぶりに姿を見せた元婚約者は、私に頼み事をしたいと言っている。婚約破棄までした相手に、子を産んでほしいと頼んでいる。  彼は正気なの?  冗談じゃない。 「お断りします…!そんなこと、」 「まぁ、お前に拒否権は無いんだが」  ドスッと重たい拳が脇腹に入って身体がぐらりと傾く。  最後に見えたのはライアスと付き人の男、そして私がロッソだと思っていた女の顔。薄れ行く意識の片隅で、今朝別れたばかりの城の皆のことを考えた。
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