45 クロエ、鎖を解かれる

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45 クロエ、鎖を解かれる

 地獄のような再会から三日後。  ギデオンは本当にまた私に会いに来た。  表向けの名目は”王太子の愛人の診察“であるらしく、何の疑いも持たずにライアスは笑顔でギデオンを連れて私の部屋を訪れた。どういう事情を話したのか知らないけれど、さすがに手枷などの拘束具は外されているものの、隠せない痣を見て魔王が何を思うのかと少し考える。 (………見下しているわよね、きっと)  婚約破棄を言い渡した男の愛人に成り下がって、子を成すためだけに抱かれるなんて。  夜伽を共にし、人間の女として閨の指導を頼んだ女がこんな末路を辿ったと知ってさぞかし落胆したことだろう。私だって自分の境遇を思うと泣きたい。  もっと悪いことに、この偽物の医者は診察と称して私を抱く。懐かしさでも感じているのだろうか?  それはもう本当に、悪い夢のような時間だった。 「お願い、痕は付けないで」  首元に沈む頭を拒否するように顔を背けると、不機嫌な舌打ちが聞こえた。 「既にこんなに付けられているんだ。今更一つや二つ増えたぐらいでバレるものか」 「………っん、」 「王太子を喜ばすことは出来たみたいだな。今日会った時に言われたよ、俺に診てもらって良かったと」 「あっ、んぁ……ッ…ギデオン!」  ぢゅっと吸われた肌の上に赤い花が咲いていく。  まるで獣が獲物を捕らえた時のように、魔王は鋭い眼光で私を見据えながら熱くなった肌を吸い上げた。  出来るだけ反応しないように心掛けたいのに、触れた場所から毒が回ったみたいに痺れて、爪先まで汗が滲む。私を見下ろす黄色い双眼には、確かな侮蔑とどろりとした劣情が見てとれた。  与えられた診察の時間は三十分程度。  不妊を疑って診察を頼んだ医師がこんな風に患者を弄んでいると知ったら、さすがのライアスも怒るだろう。それどころか、ギデオンは医師でも異国の貴族でも無いのだ。  壁に掛かった時計を見て小さく息を吐くと、魔王は着衣を整えて立ち上がった。急に切り上げられた行為に戸惑いながら、私は顔を上げる。 「今晩、夕食後に王女の部屋に呼ばれている」 「………そう」 「親しくなるために十分時間は使ったつもりだ。幸運なことに彼女も俺を好いてくれているらしい」  それは誰が見ても明らかだった。  ピエドラ王女はギデオンに夢中で、ライアスの話によると既に両親にも紹介済みらしい。私は心臓が縮むような痛みを感じつつ、頷く。 「ええ、あなたたちが上手くいっているとは聞いてるわ」 「お前の指導のお陰かもしれないな。女性は褒めるとあんなに喜ぶものだとは思わなかったが」 「役に立てたようで……良かったです」  細い声でなんとか返事を返した。 「今日のうちに王女を連れ去ろうと思う」 「え……?」 「好感度は問題ない。彼女には悪いが、このまま順当に交際したとしても婚約まで漕ぎ着けることは難しい」  魔族との結婚を許す王家など居ないだろう、とギデオンは自嘲気味に嗤う。  私は混乱する頭で何か気の利いた返しはないかと探した。王女を誘拐するだなんて、やはりリスクが大きい。ピエドラ王女とて惚れた相手のことだから、事情を話せば分かってくれるのではないか、などと甘い考えが浮かんで頭を振った。 「………どうしても、王女が良いの…?」 「そうだな。アンシャンテ家には一泡吹かせたい」 「あなたの身が心配だわ。あまり危険を冒さないで……」 「クロエ、お前には関係ないことだ」  私はハッとして息を呑む。  凍えるような視線を受けて瞬きが出来ない。 「お前は王太子の愛人だろう?ライアス・アンシャンテの元気な子を産むことだけを考えろ。ペルルシアの未来のために」 「……ギデオン、」  突き放すみたいに吐かれた言葉が心を抉る。  置いて行かれたくなくて、本音が転がった。 「お願い……助けて……!」  その時、部屋の扉が開いてライアスが姿を現した。  向かい合う私たちを交互に見て一瞬だけ驚いたような顔をしたけれど、診察の終わりを告げるギデオンの声にホッとしたのか安堵の表情を浮かべる。 「マクレガー伯爵と知り合えて良かった。品のない話ですがクロエの感度も上がったので、こちらも気分良く抱けるようになった…!」 「……王太子殿下の気持ちが通じたのでしょうね」 「いいや、これはただの妾ですから。愛はなくともそこに穴があれば抱くことは出来る。ははっ、一国の未来を背負うのも楽ではないものです!」  そう言ってカツカツと近付いて来たライアスは、ベッドに腰掛ける私の身体を乱暴に抱き寄せた。 「何処の世界でも国を担う者は同じですね。自国のためにその身を犠牲にするとはご立派な……」 「まぁね、当然の務めですよ!」 「………本当に反吐が出る」 「え?」  ライアスが声を発した瞬間、私は首筋に生温いものが跳ねたのを感じた。  腰に回されていた手が離れ、ぼんやりと上げた視線の先でドシャッと何かが崩れ落ちる。薄暗い部屋の中に錆びた鉄の匂いが広がっていた。窓から差し込む月の光が照らし出したのは、人形のように動かない首。 「────っ、」  叫び声を上げそうになった口に革手袋を嵌めた手が突っ込まれ、その手の主は私の胸元に血の付いた刃の切先を突き付ける。声をあげるなと言っているのだろう。 「計画を変更する。ピエドラ・アンシャンテに流れるこのクズの血が、俺の血に混じるのは耐え難い」 「え…? 変更って、」 「クロエ、お前は俺に聞いただろう。自分では力不足なのかと」 「それは……」 「歓迎するよ。その気持ちが変わってないなら」 「ギデオン……!?」  私を担ぎ上げて、魔王は小さな窓に手を掛ける。  とてもじゃないけれど人が脱出できるサイズではないと思っていたら、メリメリと音を立てて鉄格子は外された。頑丈な石壁をギデオンは粘度細工のように叩き割る。  騒ぎを聞き付けて部屋に押し入った衛兵たちが、床に倒れる王太子の姿を見付けて大声で騒ぎ立てる。銃声が上がって思わず耳を押さえた。 「これは身体に入ると取り出すのが厄介だ」  ギデオンは指先で摘んだ銃弾を面倒そうに捻り潰す。 「ペルルシアの国王に伝えてくれ。お前の息子の首一つでアルルの雪辱を果たしたことにすると。しかし、まぁ、なんとも阿呆な王子だったなぁ」  飛んで来た弾が頬を掠めて、魔王はわずかに顔を歪めた。  兵士たちは銃を構えてジリジリとこちらに近付いて来る。  タイミングを見計らったように一斉に銃口が火を吹き、私が悲鳴を上げるよりも先にギデオンは開いた穴から外へと飛び出した。振り落とされないように身体にしがみつく。  追撃のため飛んで来た弾が肩を貫いたのと同時に、私は意識を失った。
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