閑話◆ 雨が止んだら2

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閑話◆ 雨が止んだら2

「すごい雨よね、暫く止まないと思う」  そう言ってドレスの裾を絞る少女は、自分と同じぐらいの背丈をしていた。初めて会話する人間の子供に、自ずと緊張を覚える。空を見上げて迎えを探したが、見守っていると言っていたバグバグは何処へ行ったのか見当たらない。 「あなた、名前はなんて言うの?」  不思議そうにこちらを見上げる碧眼に息を呑む。  本で学んだ挨拶の言葉を頭の中で探しているうちに、首を傾げた少女は「しゃべれないの?」と心配そうに聞いて来た。上手く会話出来る自信がなかったので、おずおずと頷く。  緑の目を少しだけ見開いて少女の目に驚きが浮かんだ。 「そっか。私はクロエよ、クロエ・グレイハウンド」  クロエと名乗る少女は、自分が公爵家の娘で、王太子の婚約者であることを明かした。まだ降り止みそうにない曇天を気にしながら、ツイてないよねと残念そうに言う。  魔力が暴走したせいでこの場を無茶苦茶にしてしまったことを詫びたかったけれど、学んだ知識によると人間は魔族に対して友好的ではない。ビクビクしつつ所在なく下を向いてやり過ごした。 「でもね、雨ってそんなに悪くないと思うの」  クロエは床に座るとそう言ってこちらを見る。  彼女が連れて来てくれた雨宿りのための場所は、会場となっていた屋外広場から離れた場所にある別邸の階段下だった。冷たい雨が降り続ける中、クロエが喋るたびに小さな口からは白い息が漏れた。 「知ってる?雨が止んだら葉っぱの上に乗った雫が水晶みたいにキラキラするのよ。それに、今日の演奏会は眠くなる曲ばかりだったから」  感謝してる、と言って彼女は笑った。  それはまるでぶわっと花が咲いたように。 「あら、あなたのスカーフ解けてる。きっと走った時にスカーフリングを落としちゃったのね」  クロエは自分のポケットを漁って、銀色の丸い輪を取り出した。小さな手が伸びて来たかと思うと、花の模様が入ったその輪っかをスカーフの先に通す。  少女とは言えども人間の接近に驚いて暫し固まった。甘い綿菓子のような匂いがしたのは、たぶん気のせいではないと思う。幼いながらにただの緊張ではない胸の高鳴りがあった。 「うん、これで良いわね。お父様がお仕事で銀の都を訪れた時にお土産でくれたんだけど、私には大きくて。ちょうど良いからあなたにあげるわ!」  そう言って、ニコッと笑うとクロエは胸の前で両手を合わせる。  御礼の代わりに、柔らかそうな二つの手の先を少しだけ握り締めてみた。「ありがとう」というシンプルな言葉すら出て来ないぐらい、頭は沸騰しそうだった。 「あ!見て、少し晴れて来た…!」 「………っ!」  突然空を見上げて立ち上がったクロエがわきをすり抜けて走って行く。つられて顔を向けたら、確かに雲の切れ間から恥ずかしそうな太陽が覗いていた。  その時、視界の隅に慌てたようにバタバタと飛び回るバグバグの姿を見つける。クロエに気付かれては困る、と勇気を振り絞って口を開いた。 「あの、えっと……行かなきゃ」 「まぁ!しゃべれるんじゃない、もっとお話ししたかったのに残念ね。あまり見ない顔だけど、こういう場は初めて?」 「う、うん……」 「一緒に居てくれてありがとう。本当は少し怖かったの」  もう地面には日差しが届いていて、彼女の濡れた髪も光を反射して輝いていた。 「今度に会った時はあなたのことも教えてね、約束!」  スッと差し出された小指を見て呆然としていたら、クロエは「こうするのよ」と言って手を取った。小さな子供同士の指が絡み合って結ばれる。ただそれだけなのに、何故だか、自分を受け入れてくれたようで嬉しかった。  まだ雨を含んだ土を蹴りながら考える。  彼女の言う「今度」がすぐに来たら良いのにと。  その夜はめずらしく良く眠れて、小さな人間の女の子がくれたブカブカの指輪は、枕元の小瓶の中で魔王と共に眠った。何年かの年月が経って、その指輪がしっくりと嵌る時が来るまで、ずっと。
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