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46 クロエ、夢を見る
長い長い、夢を見ていた。
つまらない現実から抜け出して、私は大好きな物語のヒロインになる。重ねた努力は自分の糧となるし、与えた愛は必ず返ってくる。差し出された手にはキスが落とされて、私は王子様と一緒に踊り続けるのだ。
くるくる、くるくる。
目が回っても踊り続ける。
ほら、もうすぐ彼が振り返る。きっと誓いの口付けをしてくれるに違いない。とびっきりの笑顔を見せて受け入れよう。だって私はこの物語の───
『クロエ…!お前はただの妾だ!こっちを向け、さぁ、跪いて尻を突き出すんだ……!』
「…………っいや…!」
自分の叫び声で目が覚めた。
突き出した両手が暗闇に浮かんでいる。
可愛らしい天蓋付きのベッド。そうだ、ここは魔王の住む城。私はまたこの場所に戻って来たのだ。
(………頭が痛い、身体も……)
首を動かすと額の上に載っていたタオルがシーツの上にぽとりと落ちた。もう温くなったそれをベッドサイドのテーブルに置いてゆっくりと立ち上がる。随分と久しぶりにこうして動いたようで、眠っていた筋肉が悲鳴を上げた。
耐え切れなくて仕方なくベッドに座り込む。
水を求めて視線を泳がせていたら、部屋の扉が開いた。
「………クロエ?」
名前を呼ばれると、改めて実感した。
私は帰って来た。彼の元へと。
「ギデオン……!!」
「目が覚めたのか?体調は?」
「問題ないです。ご心配をお掛けしてすみません…」
言葉を紡ぎながら思い出すのは、これまでの経緯。どういうわけかペルルシアで再会した彼は確かピエドラ王女を攫うと話してくれたはず。
それが急にこんなことになって。
頭の中で床に転がったまま動かないライアスの首が浮かぶ。ぼんやりと開いた青い双眼に半開きの口。べっとりと付いたあの真っ赤な血を、私はつい先程のことのように記憶している。
「………っ、」
鮮明に蘇った映像に身体が震えた瞬間、シーツに手を突いて嘔吐した。幸い胃が空だったのか、大したものは出なかったけれど、まだ何かが詰まったように気持ち悪い。
「大丈夫か……?」
遠慮がちに降って来た声に顔を上げると、心配そうな表情をしたギデオンが私を見ている。
この優しい人を修羅にしてしまった。
使用人たちに愛され、自らも魔族のために貢献しようと生きる彼の手を、人の命を切り落とすために使わせてしまった。人殺しにしてしまったのだ。
私が助けを求めたから。
助けてくれ、と伝えたから。
「ごめんなさい、私のせいで」
「え?」
「ごめ…なさ……あなたの、手を…っ!」
「クロエ、いったい何が、」
伸びて来た手を思わず避ける。
驚いたような顔をしたギデオンを見てハッとした。違う、避けたかったわけじゃない。だって彼は私のために終わらせてくれたのだから。なのに、どうして身体が動かないの?
「悪かったな」
「………?」
「野蛮なんだろ俺たちは。同じ生き物だとは思えないよなぁ……触れられることすら嫌か?」
「ち、違います、身体が!」
「身体が勝手に拒否するとでも?良い言い訳だ」
ギデオンの瞳の色が変わったのが分かった。
「本当に誤解なの!ああいう風にあなたたちのことをライアスに伝えたのは言葉の綾で、」
「もうどうでも良い。喋るな」
「………っ」
「クロエ、お前があの男の名前を口にする度吐きそうだ」
「あの男とはライアスのことですか…?」
強く睨み付けられて私は竦み上がる。
どうしてか分からないが彼は怒っている。
ギデオンが何故すでに死んだライアスのことをこんなに嫌がるのか理解できない。私が嫌うならともかく、彼はもう王子を成敗したのだ。もしかするとアンシャンテ家への恨みはまだ晴れていないのだろうか。
「ギデオン……そんな顔をしないで」
「どんな顔をしている?」
「………なんだか、怒っているみたいです。私なんかのために嫌な思いをさせてごめんなさい。でも、どうか……」
「怒っている? あぁ、確かにそうかもな」
「ギデオン………?」
見上げた先で下を向いたままの魔王の感情は読めない。
「お前、どうしてあんな奴の元へ戻ったんだ?」
「だってロッソが、」
「抵抗したか?黙って受け入れたんじゃないのか?」
「どうして私を責めるの……?」
グラグラしている。目に見えて彼の感情は揺れている。
私を拒絶したギデオンが何故こうもライアスとのことを問いただすの?
苛々した様子で息を吐くと、ギデオンは徐に私の肩に触れた。巻かれた白い包帯の上から確かめるように撫でる。
「傷口は塞がったか。痛みは?」
「……あまり…感じないわ」
「じゃあ、少し無理をしてくれ」
「え?」
聞き返した声が飲み込まれる。
突然の口付けに理解が追い付かない。
「クロエ……お前が嫌がること、悲しむことをできるだけ避けてきたつもりだ。大切な客人だったから丁重に扱った」
「………、」
「だけど、今回は違う。お前が自分で選んだんだ。あのクズの男から逃げるために、俺に助けを求めた」
「……ええ」
黄色い瞳は射抜くように私を見つめていた。
「後悔しても知らないからな。ここから先は勉強なんかじゃない。俺は遠慮も配慮もしない」
「こ…後悔って、」
「クロエ、お前が望んだんだ」
真剣な顔に心臓が跳ねた。
これは期待か、それとも恐怖か。
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