57 クロエ、本当を話す

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57 クロエ、本当を話す

 両親への話も終えて、諸々の問題が解決した今、魔王の愛は日に日に濃さを増している気がする。  就寝の挨拶に来たギデオンが私の手に輝く銀の指輪に口付けを落として立ち上がるのを見て、私はふとこの指輪の出処が気になった。島を去る際にお別れのプレゼントとして貰ったものを成り行きで嵌めていたけれど、あの時は本人が不在だったので直接聞けなかったから。 「ねぇ、ギデオン」 「どうした?」 「この指輪ってどういう意味があるの?」  何の気なしに聞いた言葉にギデオンは目を見開く。  私は何か失礼なことを口にしたかと戸惑った。 「あ、べつに気に入ってないとかじゃないの。ただ、詳しいことを聞いていなかったから……」 「………何の意味もない。お守りみたいなものだ」 「お守り?」 「ああ。クロエが何処へ行っても、俺の元へ帰るように」  そう言うと、身を屈めてまたキスを落とした。  くすぐったくなって私は笑い声を上げる。神に祈らないと言っていた彼がお守りという存在を信じることに驚いたけれど、素直に受け取っておこうと思う。  窓の外には魔王の瞳と同じ色をした丸い月がぷかぷかと浮かんでいて、その姿を時折隠すように細切れの雲が揺れ動いている。 「あのね、寝室の話だけど……」  バッと顔を上げたギデオンは子供のように目を輝かす。  私はその様子にまた可笑しくなってしまった。 「明日から一緒に眠りましょう。緊張するけど、何事もきっと経験よね。バグバグに頼んでみるわ」 「俺から伝えておく。嬉しくて水になりそうだ」 「っふふ、嬉しいときも変化するの?」  キラキラと光る双眼を覗き込むと、魔王は子供のように肩を縮こまらせた。些細な動作も愛おしい。自分が抱える好意を認めたら、彼の一挙手一投足が可愛らしく思える。  銀色の髪を掻き分けて額に唇を重ねた。 「私も願っておくわ。あなたが何処へも行かないように」  瞬間、パチンッと音がして何かが弾けた。  驚いて目を遣ると足元で液化したものが広がっている。 「………だから言ったろう、お前は意地悪だな」 「だって本当だと思わなくって、」 「嘘は吐かない。早く元に戻してくれ」  するすると脚を登ってきたスライムを両腕で抱えて、思いっきり顔を埋めた。冷たかった内部が徐々に沸騰するみたいに温かくなっていく。  屈強な四肢に綺麗な顔をした人の姿のギデオンも、ぽよんぽよん跳ねる液体の姿も、どんな時でも愛しいと思う。私は精一杯の気持ちを込めてキスを落としていった。  見た目が変わっても、その中身は強くて優しい魔王だから。 「愛しているわ、ギデオン。何度だって伝え続ける」 「……そんなに言われると、戻るものも戻れなくなる」 「あら。あなたが教えてくれたのよ?」  静かにそよぐ表面に頬をぴたっと付けてみた。  安心する体温を感じながら目を閉じる。  破滅を避けるために選んだ決められた道ではなく、自分の気持ちに従って進んだのだ。顔色を窺って導き出した正解じゃない。私はもう、悪役令嬢の縛りから解放されて、新しい未来を生きている。 「あなたに言わなければいけないことがあるの」 「………?」  手の中で液体が少しだけ硬化した。  緊張を解くために表面を撫でる。 「信じなくても良いんだけど……実は私、ペルルシアに居た頃は自分の人生がどうなるかある程度分かっていて、ゲームみたいに正しい道を選んで生きていたの」 「ゲーム……?」 「初めから正解が分かった遊びを続けていたようなものよ。まぁ、決まっていた通りバッドエンドで終わったんだけどね」  これじゃ正解か失敗か分からないわよね、と言い添えた。  最善を選んで迎えたのが断罪であるなら、クロエとしての今までの人生はいったい何だったのだろうと思う。だけれど破滅を迎えたからこそ、その先の今を見ることが出来たのだ。 「ゲームの中での私の目標は王子様と結ばれること。でも実際は悪役のまま終わって、婚約破棄されちゃった……」 「お前の言うゲームとやらに俺は登場するのか?」 「………いいえ。あなたは私の想定外、未知の存在よ」 「なら良かった、それなら安心出来る」  ぐにっと動いたスライムが見慣れた魔王に戻る。  頬の上に温かな手のひらが触れた。 「分からない方が良いだろう」 「え?」 「先が分からないから面白い。俺はクロエのことを知るのが楽しみだ。何が好きで、何が嫌いか。悲しいときにどんな顔をして、嬉しいときにどう笑うのか、自分の目で見て知りたいと思う」  どこまでも素直で純粋。  そうだ、私は彼のこの真っ直ぐな心に惹かれた。  閉じた瞼から気持ちが溢れる。そろりそろりと頬を撫でてくれるこの不器用な手を、私はもう離したくない。悪役に生まれたことを嘆いて、悲観するのは終わり。 「……そうね。私も知りたい、同じ未来を二人で見たいわ。ありがとう、ギデオン……本当にありがとう」  嗚咽が止まるまで、優しい腕は私を抱き締めてくれた。
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