よみがえる記憶

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よみがえる記憶

 夢を見ていた。  そう、これは夢だ、懐かしい夢。  今から七年は前だろうか。  夢の中のセレスティアはまだほんの少女だ。体は未成熟な細身で背も伸びきっていない。顔だって幼かった。  その日セレスティアは初めて遠出をしていた。  そして立ち寄った他領で、通りすがりに魔獣退治の助力をしたのだ。  咲き乱れる花々と、張り巡らされたツタ。  白い朽ちた柱が立ち並び、岩肌が鳥籠のように切り取られた不思議な場所。  開けた天蓋から覗く蒼穹。  救難の狼煙を見てその場所に駆けつけた時、道中には幾人もが倒れていた。  一人だけ立って魔獣と戦っていた若い騎士もまた、多勢に無勢でかなりの重傷を負い、危機に瀕していた。 「お気をしっかり持って下さい、騎士様! あなたは必ず助かります」  魔獣と戦いながら、騎士を守って傷ついた体を癒し続ける。  傷は深く、端正な顔が苦痛に歪んでいるのが本当に気の毒で、セレスティアは彼を励まし続けた。  戦いが終わるのと、深手の仮の治癒が終わるのは同時ぐらいだった。  そしてその時初めて、魔術を使いすぎたセレスティアは限界を超え、意識の混濁を起こして倒れたのだ。 「聖女殿! 次は私があなたを、必ず――。必ずお守りいたします」  薄れゆく意識の中で聞いた、必死な呼びかけ。  それはセレスティアの心に強く残る言葉だった。 倒れたセレスティアを抱えて一心に見つめるその目は、開けた天蓋から覗く空のように青くて――。  ああ、あの眼は、そうだ。 (……アレク様? あの時の騎士様は、アレク様だったのね)  あの時のことを、セレスティアはすっかり忘れてしまっていた。  倒れたショックのせいとは言え、今思い出すまで記憶の端にも上ってこなかったのだ。  しかしそれでは、初めて会ったと思っていた森の中からすでに、アレクシスは自分のことを知っていたのか。  結婚を申し込んでくれたのは、あの時のことがあったからだったのだろうか。  そこではっと目が覚めた。  目覚めてすぐに視界に飛び込んできたのは、青空のような瞳。整った顔は今は不安げに歪められていて。  セレスティアはふと自分の手に温かさを感じて視線を向けた。骨ばった手が優しく、けれどしっかりと自分の手を握りしめている。  ずっとついていてくれたのだろうか。 「……アレク様」  思ったよりもかすれた声が出て戸惑う。  アレクシスの表情が、安堵と喜びに解けた。 「セレスティア! 目が覚めたのか。どこか痛くはないか? 気分は?」 「何ともないようです。……あの、わたくしは……」 「迷宮で竜を討伐してから三日の間、こんこんと眠り続けていたのだ。力を使い果たしただけだと医者は言っていたが……良かった、本当に」  寝台の上に半身を起こして、アレクシスの手を握り返す。  まだ体にあまり力が入らないようだった。  その様子を見て、アレクシスは思い詰めた表情で頭を垂れた。 「すまない。私はあなたを守ると言っておきながら、またあなたに守られてしまった」 「アレク様。竜を倒してくださったのはあなたなのですから、わたくしはちゃんと守って頂きました。わたくしこそ、大きなことを言ったのに最後まで立っていられずに申し訳ありません」  セレスティアの白くて小さな両手が、一回りも大きなアレクシスの手をそっと包み込む。 「……守って頂きました。森で会った時も、そして今回も。もう何年も前のことなのに、アレク様は覚えて下さっていて、お約束の通りにわたくしを守ろうとして下さっていたのですね」  セレスティアの言葉を聞いて、アレクシスは驚いたように目を見開いた。 「あなたはあの時のことを全く覚えていないものだと……」 「はい。つい先ほど思い出したばかりです。あの時のこと、あの時あなたが仰っていたことも」  アレクシスの青い瞳が揺れる。  彼はうつむくと自嘲気味に零した。 「昔も今も、まだまだ私には力が足りない。情けないところばかり見せてしまう」  いいえ、とセレスティアは首を横に振る。 「情けないと思ったことなど一度もありません。あなたはわたくしの知る他の誰よりも勇敢で、強い方です」 「……あなたは、そうやっていつも私に勇気をくれるな」 「その勇気は元々あなたの中に備わっていたものですよ。それに……」 「それに?」  アレクシスに触れる自分の手が熱を発している。  青い瞳と緑の瞳、その視線が交わる。 「わたくしは、守ることはあれど、守られることはまずありません。あなたに初めて出会った時からそうだったのです。だから……ただ嬉しかった」  頑なに『守る』と言ってもらえたこと。  その一言がこんなに心に響くなんて思ってもみなかった。  セレスティアにとって誰かを守るのは、少女の頃から当たり前のことだった。  それは彼女が強かったから。貴族で魔術師でもある自分の役目で、果たすべきことだと教わり、信じてきたからだ。  しかしアレクシスは彼女を守ると誓い、実際にそうすることに何の躊躇いを持たなかった。夜会の前に森で出会った時から大暴走の時に至るまでずっと。  対等に隣に立てる人の存在を久しぶりに感じた。  それが、嬉しくて――。  勝手に潤む目で、なんとかアレクシスを見つめる。  彼はセレスティアを本当に愛おしそうに見つめ返し、優しく抱き寄せて言った。 「結婚の申し込みをした時の言葉に二言はない、セレスティア。私があなたを一生守る。あの時にそう誓ってから今日まで、ずっとあなたを想っている。あなたを迎えるに足る力をつけるのに、時間がかかってしまったが……」 「アレク様。わたくしもアレク様を一生お守りしますよ。お伝えした決意は少しも変わりません」 「ならば、ずっとそばにいてくれるのだろう?」 「もちろんです」  そうして見つめ合った二人は、初めて――。  初めて抱擁を交わしたのだった。  照れくさそうに頬を染めながら。
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