出会いは戦場で

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「お嬢様! 付近の魔獣、これにて一通り倒したものと思われます。帰還の準備を整えて参りますね」 「ご苦労さま、メイ。ではわたくしはシルヴァンとともに、ここで最後の確認をします。馬車はこちらに回して」 「かしこまりました! 騎士団も哨戒(しょうかい)しているとはいえ、くれぐれもお気をつけて」  侍女が汚れたエプロンの裾を翻して走っていくのを見送りながら、セレスティアは森の中に佇んでいた。  傍らには大きな狼。穏やかな風が吹き抜け、その純白の毛をなびかせる。辺りは静寂そのものだ。  ここは王都近郊の森の中。  セレスティア・アイリィ・レッドフォードは、この森に現れた魔獣の群れとの戦いをたったいま終えたばかりのところだった。  戦いと言っても、彼女は戦士ではない。優秀な魔術師なのだ。  彼女の家系、レッドフォード子爵家は代々強い魔力を誇る。こうして王国の守護を任されている一族のひとつで、今は病がちな父と若い弟に代わって、セレスティアが進んで戦いの場に立っているのだ。 (重荷にならないかと言うと、少しだけ嘘になるけれど……。でもそれこそが私の勤めですもの)  レッドフォード家の名を背負い、人々の平穏のために。 (手の届く範囲の皆を守る。それこそが、レッドフォード家に生まれた私の生き方だわ)  それは誇りと言いかえても良い。  誇りを胸に皆を守り戦うのは、彼女にとって命を賭けるに値する大事なことだ。  務めであり、生き様でもあった。  戦いの後はいつものように、魔術で使役している白狼シルヴァンを引き連れて魔獣の取り逃しはないか辺りを調べていく。  と――。  茂みの奥から唸り声がする。  ところが命令を待つシルヴァンに突撃の合図を送る前に、唸り声は苦鳴に変わり、あえなく獣が息絶えたであろうことがわかった。 「いったい、何が――」  急いで茂みをかき分けて行った先に立っていたのは、一人の長身の青年だった。  烏の濡れ羽色の黒い髪は、短めに切り揃えられている。端正な面立ちは、魔獣と対峙していたからか鋭く厳しい。一番印象的なのは、空のもっとも深い所に似た青い瞳。  整った身なり。階級としては騎士団よりはるか上に属しているように見える。  そして左手にぶら下げているのは強い魔法の力を感じさせる、見るからに業物といった風な剣だった。  足元にはその剣で今斬ったばかりと思しき魔獣が転がっている。 「あなたは……」 「残っていたようでしたので。余計なお世話と思いながらも斬りました。セレスティア嬢」  青年は辺りを警戒したまま、にこりともせずに言う。 「……わたくしの名前を?」 「ええ、もちろん。あなたは高名な『守護の聖女』殿なのですから」  確かに民たちはセレスティアを『守護の聖女』と呼んでくれる。  令嬢という立場でもわざわざ前線に立つのは、護国の栄誉ある家に生まれた矜恃(きょうじ)だけでなく、彼女が相応の実力を持つかけがえのない魔術師だからである。 (でも髪を引っ詰めて縛り結び、男装して、騎士に混ざって狩りに……そんな姿を『血まみれ聖女』って、社交界では揶揄(やゆ)されているのに)  陰口を叩かれる時の失礼なあだ名を思い出してしまう。  その噂話と、力があるとは言い難い実家の事情も相まって、結婚適齢期を過ぎても見合い話が全く湧かないくらい。  ただこの青年の言葉には皮肉るような響きもない。単純に事実を述べたと言った様子をしている。それどころか敬意を感じるものだった。  新鮮で、なんだか妙に面映ゆい。  のんきにそんなことを考えていたら、青年が抜き身の剣を持ったまま、ズンズン近づいてくる。 「あの、ちょっと……!?」 「黙って。舌を噛みます」  と言うやいなや、抱き抱えられる。そしてほぼ同時に彼の剣が閃き、寸秒遅れてセレスティアのいた場所に襲いかかった魔獣を一撃で仕留めた。  あまりの手際に内心舌を巻く。 「これで終いです、聖女殿」 「……聖女なんて大層なものではありませんが。ご助力ありがとうございました」 「魔獣の群れの大半はあなたとその聖獣が倒したと聞きました。その力は変わらぬどころか、日々進化しておられるらしい」  抱えられたまま礼を述べると、やっと青年の顔に少しだけ笑みが浮かんだ。  笑うと、思ったより優しい印象になる。セレスティアはその笑顔を好ましいと思った。  それとともに……。 「あの……」 「何か?」 「下ろしていただいても……? わたくし、重いでしょう」 「ああ、これは失礼。忘れていました。羽のようだったので」  顔に朱がのぼるのを感じながら、地に足を着く。  戦場に足を運ぶ魔術師のセレスティアは、一般的な貴族女性と比べるとずいぶんがっしりしている方だ。そんな成人女性ひとりを片手で抱えてしまうのだから、この青年はなかなかの剛力に思える。  魔獣をたった一撃で倒してしまった手腕もあるし、ひょっとしたら名だたる戦士なのかもしれない。 「あの、もうひとつだけ。お名前を伺ってもよろしいですか? さぞや名のある方とお見受けいたしました」  尋ねると青年は何故か面食らったような顔をした。意外な反応である。  そしてセレスティアの顔を見つめてしきりにまばたきをしている。  青い瞳で見られると、なんだか胸がぎゅっと締め付けられるような気持ちになる。  何故だろう。  その感情は――上手く言葉に表すことができない。 「私の名は、……。セレスティア嬢、あなたは今日は夜会におでましくださるんでしょう? そこでわかります」 「えっ? 夜会ですか?」 「ええ。やっとお会いできたのに、お名残り惜しいですが……今夜またお会いできるのを心待ちにしております。ではまた」  背を向けて去っていく青年を追おうとしてみたものの、ちょうど馬車とメイが迎えに来てしまった。 「お嬢様、どうなさいました? あっ、魔獣が残っていたのですね、申し訳ございません……!」 「問題ないわ、メイ。それより今日の夜会なんだけど、なんの催しだったかしら」 「はい! 今晩はなんでもクラウンホルト伯爵様のご功績を讃える会だそうでして……」 「あの英雄、『迷宮伯』様の」  とすると、やはりあの男性も身なりの通りそれなりの身分なのだろう。  高名な英雄が招かれる夜会での再会を示唆するくらいなのだから。 (いったいあの方は、どういう御方だったのかしら……。守るつもりだったのに、わたくしが守られるなんて)  セレスティアは後ろ髪を引かれる思いになりながらもその場を後にしたのだった。  夜会。そこに彼が現れるのなら、また会えるかもしれないと思いながら。  もう一度会ってみたい。  殿方に対してそんな感情を抱くのは初めてだ。  それはセレスティアが今まで見た中でも屈指の素晴らしい強さのせいかもしれないし、彼自身の持つ不思議な魅力のせいなのかもしれない。  好奇心とも興味とも言える気持ちが、心の中に珍しくも湧き上がって来ているのをセレスティアは感じていた。
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