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気の進まない夜会
アレクシス・フラウ・クラウンホルト伯爵。通称『迷宮伯』。
今夜の夜会の主賓は、今をときめく大英雄である。
急いで屋敷に帰り身繕いをしながら、招待状を改めて確認して、セレスティアはため息をついた。
クラウンホルト卿の称号が冠するのは、王国の辺境に存在する災禍とも恵みとも言える『迷宮』。
現クラウンホルト伯爵は魔獣や財宝に溢れるこの迷宮をいくつも攻略してきた偉人で、数々の功績と圧倒的な実力から『王国の剣』とも称される。
役割としてはいわゆる辺境伯に当たる働きをし、国王に重用されている人で発言力もある。
言葉を選ばなければ、力も身分もセレスティアの完全な上位互換の存在だと言えた。
国王の腹心である迷宮伯が珍しく中央にやってくるこの夜会には、必ず出席しなくてはならないのだ。
(迷宮伯が主賓ともなれば、今回の夜会はますます私の居場所がなさそうね……)
もう一度、深いため息。
鏡台に映る眉間に皺が寄ってしまっている。
セレスティアにとって、こうした夜会は正直億劫極まりないのだ。
セレスティアの家、レッドフォード子爵家の現状はあまり芳しいとは言えない。
先代の『守護の聖女』と呼ばれた母は、エリオットを生んだ直後に体を壊して亡くなってしまった。
当主である父は妻を亡くしてから病がちになり、今はほとんど伏せっている。
継嗣であるセレスティアの弟エリオットは優秀ではあるもののまだ年若く、父に学んで領地経営するので手一杯だ。
一族が誇りを持っていた『王国の盾』とも言うべき魔術師の仕事は、現在ほとんどセレスティアのみが行っている。
領地経営の成果は決して悪くないのだが、かと言って莫大な富を持っているわけでもなく。
現在の王国は政情も安定し近隣との関係も良好で、魔獣の脅威はあるものの、戦争の気配もなく武官の勢いがそう強くない。
そう言った状況を見て、レッドフォード家を落ち目とする流れが世間には確かにある。
社交界では特に顕著で、セレスティアは歯牙にもかけない扱いをされるばかりなのだ。
大有名人で、お近付きになりたい者など星の数ほどいるだろう迷宮伯が招かれている場となれば、セレスティアは間違いなく空気以下の存在になるだろう。
「お嬢様! そんな浮かないお顔をされていては、せっかくのお美しさが陰ってしまいますよ。久しぶりの夜会です、このメイが腕によりをかけて磨いて差し上げますから!」
「ありがとう、メイ。でも……」
(きっと今夜はダメな気がするわ……)
そうして暗い気持ちを抱きつつ、臨んでみた夜会。
華やかとはいえないまでも、貴婦人として恥じないようにめかしこんできたつもりだ。
銀の髪はメイが丁寧に梳いて形よく結い上げてくれたし、派手ではないが自分に似合うドレスもまとっている。母の形見のネックレスは瞳と同じ緑色で特に気に入っているものだ。
でも結果は予想通り。
セレスティアは見事な壁の華ぶりを発揮していた。
こんな席なのに運悪くいつもエスコートをしてくれる身内の都合さえもつかなかったのだ。
でも、もしかして、せめてあの人にはまた会えるかもしれない。
そう思いながら人気の少ない壁際で会場の様子を伺う。
人垣が出来ているところに、おそらく迷宮伯がいるのだろう。それはわかるけれど、セレスティアなどにはとてもとても寄りつけたものではないし、寄っていってどうなるものでもない。
それだけでも十分つまらないことばかりなのに、お決まりの陰口だけはしっかり聞こえてくる。
「あら、『血まみれ聖女』がいらっしゃるようですわよ、この辺り少し獣臭くなくて?」
「嫌ですわ、今日は迷宮伯がお見えになっておられるのに……。お召し物もずいぶん質素ですし。恥ずかしく思われないのかしらね」
(確かに私の衣装は母上譲りのドレスで流行のものではないけれど! あなたたちの生活も守って戦っているのに獣臭いだなんて、なんて言い草!)
「睨まれてます? 怖い、怖い」
いつものこととは言え、腹が立ってくる。
さすがに不快さが極まってきた
(この人出では、あの人には会えそうにないわね。もう会場から離れてしまおうかしら……)
出席する義務は、これで最低限果たしたはずだ。
あの人に会えないのは少し心残りだが――。
そう思って壁から離れて歩き出そうとした時、不意にざわめきの質が変わった。
人混みが割れて、誰かがこちらにやってくる。
それは――。
「セレスティア嬢」
踵を返しかけた自分の名を呼んだのは、聞き覚えのある声だった。
落ち着いたトーンの低音で、ざわつく人混みの中でもよく響いて心地よい。
はっとして顔を上げれば、紛れもない、昼に出会った『彼』が佇んでいた。
あの時の言葉通り、夜会に来ていたらしい。
すらりとした長身を立派な仕立ての夜会服で整えた、輝かんばかりの貴公子ぶり。セレスティアは思わず息を飲んで立ち止まる。
「また会えましたね。聖女殿」
「あの……ごきげんよう、名無しの騎士様。昼間はご助力ありがとうございました」
何故か周りがざわつく。
内心で首を傾げたセレスティアだが、理由はすぐに分かることになった。
「ええ。あなたのお役に立てて光栄でしたし、またお目にかかれて本当に嬉しい。では……お約束通り名乗りましょうか」
黒髪の青年は柔らかに目を細めると、一拍の間を置いてから続ける。
「私の名は、クラウンホルト伯――アレクシスと申します」
クラウンホルト伯。クラウンホルト伯?
聞き間違えでは……ない。
セレスティアは自分の顔から血の気が引くのを感じていた。
目の前にいるのが、まさかあの迷宮伯その人だなんて。
では何故彼は昼に魔獣のいる郊外の森になどいたのだろう。しかも一人で。
せめてお付の者がいたら、騎士なんて思い違いはしなかったのに!
セレスティアは必死に、「そんな馬鹿な」と言う心の叫びを噛み殺した。
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