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求婚は突然に
昼とは違う、社交用のもの慣れた笑顔をアレクシスに向けられて、セレスティアは凍りついた。
今までの自分の振る舞いを思い出してしまったのだ。国家の宝とも言われるこの人に、自分は剣を抜かせてしまったばかりか、庇われて、さらには。
(知らなかったとは言え、あの迷宮伯様のお手を煩わせた上に……あああ! なんてとんでもない勘違いを!)
会場のざわめきの理由がわかった。あまりのことに失笑を買ったのだ。
覆水盆に返らずだった。
「大変な御無礼を働いてしまいました。どうかお許しください」
失態を犯してしまったからには、もう頭を下げるしかできることがなかった。
「迷宮伯にとんだ無礼な真似を」
「有名なあの方のお顔もご存知ないのね」
そんな周囲のせせら笑いもひそひそ話も全く耳に入ってこないくらいだった。
凍りついたように緊張したまま謝罪を述べたセレスティアに対して、アレクシスの反応は意外なものだった。
ごく真面目な口調で、はっきりと言う。
「あなたが気になさることはありません。あの場で名乗らなかったのは私なのですから。もしそれでも気がかりに思われるのであれば……」
と言って、アレクシスはセレスティアに丁寧に礼をし、手を差し伸べてきた。
「一曲、お付き合い頂けませんか?」
「わ、わたくしが……閣下と、ですか?」
予想外の展開と申し出に、セレスティアは思わず目をまたたかせる。
身内以外の男性に夜会でダンスに誘われるなど、久しくなかったことだった。
「ええ。セレスティア嬢、是非に」
「御無礼の償いができるのでしたら……」
セレスティアは悩んだ末に、おずおずと彼の手を取った。
この会場にいる人々のほとんどは、迷宮伯と少しの時間でも関わりたい人ばかりだろう。そんな中だから、ぽっと出の自分に反感を抱く人も多いに違いない。
とはいえ、無礼を働いてしまった相手たっての望みとあらば、ダンスくらいは……と思ったのである。
人垣が割れる。アレクシスにエスコートされて、優雅な音楽の流れる広間の中心へと進み出た。
いつもはセレスティアを馬鹿にしている令嬢たちが目を剥いているのが視界の端に映る。
楽団は新たな曲の演奏を始め、夜会の客たちがワルツのステップを踏み始める。
その中でも、セレスティアとアレクシスは注目の的になっていた。
セレスティアは日頃は埋もれているが、決して見目が悪いわけではない令嬢で気飾れば華やかにもなる。如何にも堂々として立派な風采のアレクシスが エスコートすれば、絵になる美しい組み合わせとなった。
それはさながら、輝く月が夜空のキャンバスに引き立てられるように。
(この方、ダンスがとてもお上手だわ……)
セレスティアは踊りながら感心もしていた。
彼女のダンスの技量は正直なところ十人並みだ。
いつも以上どころではなく、これまでになく上手く踊れていると感じるのは、アレクシスのリードが巧みだからに他ならない。
不世出の英雄であるだけでなく、雅ごとにもしっかりと通じているのはさすがとしか言いようがない。
広間中の視線を痛いほど集めていたので、どれだけ緊張するかと心配していたが、一曲が終わるのは驚くほど早く感じられた。
楽しいと感じられるくらいには新鮮な時間だった。
「閣下。わたくしの不徳のいたすところで御無礼を働いてしまいましたのに、こんな……本当に素晴らしい時間をありがとうございました」
「セレスティア嬢。私の方こそ」
「それでは、わたくしはこれで失礼致します」
一礼をして速やかに辞去しようとしたセレスティアは、しかしぴたりと足を止める羽目になった。
「……あ、あの?」
困惑を隠せないままアレクシスを見つめる。
何故か彼が手を取ったまま離してくれないのだ。
「閣下?」
「セレスティア嬢」
戸惑いを深める彼女の顔を見つめるアレクシスの眼差しは、あまりに真摯だった。
心臓が高鳴るのは、緊張のせいだけではない気がする。
セレスティアの新緑の瞳が、アレクシスの青空の高みのような瞳をそろそろと見つめ返す。
青年の涼し気な色の目には、強い意志の光がこもっているように感じられた。
少しの間の後で、アレクシスのよく響く声がはっきりと告げる。
「あなたに求婚いたします、セレスティア・アイリィ・レッドフォード嬢。私と結婚していただけないだろうか」
今度こそ完全に会場にどよめきが沸き起こった。
(け……結婚!?)
求婚。自分が求婚される?
当人のセレスティアとて、驚きのあまり呆然と立ち尽くしていた。
針の先で突いたほども想像していなかったことである。
無礼を重ねてしまうと思いつつ、思わず尋ね返さずにはいられない。
「恐れながら申し上げますが、どなたかとお間違えでは……?」
「他ならぬあなたに希っているのです」
優しく、しかし断固とした口調で言われて、ますます弱ってしまう。
「少し……少し考えるお時間をいただいても宜しいですか……」
考えあぐねた結果、セレスティアは小さな声でそう言うに留まった。
アレクシスは上品な笑顔でひとつ首肯し、彼女の手の甲に口づける。
「ではまた改めて、あなたの元へ伺います。良い返答を期待しています」
緊張のあまり震え上がりそうになりながらうなずき、セレスティアは会場中の視線を集めながらギクシャクとその場を後にした。
帰りの馬車に乗るまでしっかりアレクシスのエスコートつきで。
迷宮伯手ずからの虫除けは効果覿面だったが、おかげでセレスティアの心臓はずっと大きく跳ね上がったままだった。
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