15人が本棚に入れています
本棚に追加
迷宮伯のお膝元にて
婚約が決まった後、セレスティアは早々にクラウンホルト領にある本邸へと引っ越すことになった。
理由は、かの地に存在する『迷宮』である。
迷宮では一定の周期で獰猛な魔獣が大発生する『大暴走』が起こる。
当然領内の移動にも危険が伴う可能性があるので、それが起こる前に引っ越すのは道理だった。
また、その時期がやってくればアレクシスは多忙極まる身になることが明白だ。
大暴走鎮圧後に結婚式を執り行うことは既に決まっているが、準備は必要だ。諸々を急ピッチで進めておく必要があるのだ。
(それにしても大暴走などと言う現象があるとは! やっぱり、閣下が私との婚姻を結んだ理由は、戦闘要員として期待されているからよね? きっとお役に立ってみせるわ)
とセレスティアは妙な方向に意気込んでいたが、アレクシスはずっと気遣わしげな様子だった。
やっと二人でゆっくり話す時間がとれたのは、輿入れする馬車の中となった。
「セレスティア嬢……いや、セレスティア」
「はい、何でしょう? 閣下」
「閣下はやめてくれ。アレクで良い」
「承知いたしました。ではその、……アレク様」
「ああ。……すまない、迷宮の事情のせいであなたに負担を強いてしまって。特に式に関してが……。女性にとっては大事なものであるのに」
おや、と思った。
セレスティアは多忙なアレクシスの側に合わせるのが当然と思っていたので、そんな風に謝罪されるとは思ってもみなかったのだ。
「アレク様。謝る必要はございませんよ。わたくしはあなたのお役に立つために嫁ぐのですから。式のことなど全く構わないのです」
「そう仰るとは思っていたが……。やはり心の広い女性なのだな、あなたは」
彼の気遣いは嬉しく思ったが、以前からセレスティアのことを知っているような口ぶりが何となく引っかかった。
(この方はわたくしのことをよく気遣ってくださる。初めてお会いした時、夜会の時もそうだったし……。本当にお優しい人なのでしょうね。でも……もしかして、それだけじゃないのかしら?)
結婚の動機と言い、アレクシスがセレスティアを見初めてくれた理由はやはり判然としない。
今更結婚が翻ることもないだろうが、何となく気になった。
クラウンホルト領に輿入れする時のセレスティアは、嫁入り道具も多くなく、連れていくのも側仕えのメイド兼護衛のメイ一人だけと言う質素なものだった。
それはセレスティア自らが望んだことだ。なにぶん家に余裕がないのだから仕方ないし、彼女としてもそう多くを必要とはしていなかったのだ。
クラウンホルト領に到着してみると、まさに圧巻の風景が広がっていた。
そびえる尖塔。断崖にいくつも口を開ける洞窟。巨大な迷宮たち。
初めて見る迷宮の景色。セレスティアは好奇心に満ちた眼差しでずっと馬車の窓に張り付いていた。
(見たこともないものばかりだわ! これが迷宮というものなのね。危険と未知と可能性の宝庫……。アレク様の治める土地)
「やはり珍しいか? この景色は」
「はい、とても! それにこれから私が暮らしていく場所なのだと思うと、ワクワクしてしまいます」
令嬢らしからぬことを言ってしまったと、はっと口を押える。
しかしアレクシスは意外なことに穏やかな笑みをセレスティアに向ける。
「そう言ってもらえると嬉しい。他の貴族の領地とはずいぶん違うが、ここは良い土地だから。とはいえ危険な場所ではあるから、絶対近づかないように。興味があるならいずれ私が案内しましょう」
「宜しいのですか?」
「ええ。あなたの行きたい場所ならば、どこへなりとも」
一番初めに森の討伐で出会った時のことを思い出す。
確かに彼ほどの腕ならば、迷宮の中の魔獣も敵にはならないだろう。
不意に抱きとめられた記憶が蘇り、どぎまぎしてしまう。
気持ちを誤魔化すように、慌てて返事をする。
「では、いつかアレク様のお気に入りの場所へわたくしをお連れくださいませんか。わたくしはあなたのことをまだ何も知りませんから」
「喜んで。そう遠くないうちにきっと」
婚約者の務めを果たそうとしてくれているのかもしれないが、その答えはセレスティアには親しみと嬉しさを感じるものだった。
(もっとよく知れたら良いな。この方のこと)
二人はお互いを見つめ、微笑み合った。
その様子は本当に仲睦まじいもので、とてもほんの少し前に出会ったばかりの関係には見えない。
ゆっくりと走る馬車を、領民たちが微笑ましげに見送っていた。
最初のコメントを投稿しよう!