秘密の花園

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秘密の花園

「セレスティア。遠乗りに行かないか?」  アレクシスがそんな誘いをしてきたのは、セレスティアがクラウンホルト領に到着してから三週間ほどが経った日だった。  違う土地での暮らしや、しきたりの違いなどにもようやく慣れてきたころである。 「連れて行きたい場所があるんだが……。あなたが良ければどうだろう?」  座学や座っての用事が非常に多かったので、ずいぶん体がなまってしまっている。そう感じていたセレスティアは、大喜びでその誘いに飛びついた。 「この土地を見て回れるのはとても嬉しいです。ぜひ。遠乗りでしたら、ドレス姿でなくても構いませんか?」 「そうだな。危険も全くないわけではないし、あの時の――夜会の前に森にいた時のような姿が最適かもしれない。馬車を出しても良いが」 「いえ! わたくしとしても、あの姿の方が気が楽で……と申しますと、笑われてしまいますでしょうか」  おそるおそる尋ねれば、アレクシスは目を細めたが、呆れと言うよりは微笑ましいと思ってくれている顔だった。 「あなたのその少しお転婆なところが、私にはとても好ましく思えるよ、セレスティア」 「アレク様にそう言って頂けるのは嬉しいです」  アレクシスと話すようになってから感じていたのだが、彼は思いのほかさらりとセレスティアのことを褒めたり、可愛がったりしてくれる。  しとやかとは言いがたく、我が強くて可愛げがないと言われることはあっても、褒められることはついぞなかったセレスティアは、その度になんだかムズムズして落ち着かない気持ちになる。 「あなたの聖獣も連れて行くかい?」 「良いのですか? シルヴァンも喜びますし、安全のためにもお役に立てると思います!」  これも思いがけない提案だった。  貴族たちには獣臭いと蔑まれることも多い、セレスティアの召喚する聖獣シルヴァンは、非常に賢く強い力を持つ自慢の相棒なのだ。  その相棒をアレクシスが認めてくれるのは、自分のことのように嬉しかった。 「では、準備が整ったらピクニックに出かけようか。執事に昼食を用意させよう」 「外での食事になるのですか?」 「ああ、とっておきの場所でね」 「とても楽しみです!」  お愛想抜きに声を弾ませるセレスティアに、アレクシスも嬉しそうに微笑んでいた。  普段は精悍さを感じるアレクシスだが、笑うと途端に優しい印象になる。いつの間にかセレスティアが好きになっていた、彼の表情のひとつだった。  大所帯ではかえって目立ちすぎるということで、アレクシスは護衛を一人、セレスティアはメイとシルヴァンを引き連れて、昼前に館を出た。  馬をしばらく走らせて着いた先は、森の入口にある遺跡のような場所だ。  朽ちかけた白い柱の脇をすり抜け、アレクシスに続いて奥へと足を踏み入れて行く。  ツタの葉の繁茂する道をいくらか進んだあと、急に視界が開けた。 「まあ……!」  その風景を見た瞬間、セレスティアは息を飲んだ。頬は興奮で薔薇色に染まり、緑の大きな目はキラキラと輝いている。  喜色に満ちた彼女を見て、アレクシスがなんとも嬉しそうな表情になる。  鳥籠のような外壁には、一面に色とりどりの大輪の花が伝っている。天蓋はぽっかりと開いて青空が見え、神聖な場所であるかのように降り注ぐ光。  足元には踏み心地の良い緑の芝が生え揃い、おあつらえ向きのベンチのように白い石柱が転がっている。 (ああ、あの空。アレク様の瞳のようね……)  セレスティアは眩しさと嬉しさで目を細めた。  幻想的な一枚絵のような、素晴らしい景色だった。 「なんて素敵な場所でしょう……!」 「気に入ったか?」 「とても! ここも迷宮の一部なのですよね?」  セレスティアが興奮気味に尋ねると、アレクシスは頷いて答える。 「そうだ。七年前に攻略された迷宮で、今はもう魔獣が現れることもない。私の気に入っている場所だ」 「約束通り連れ来て下さったのですね。ありがとうございます、アレク様」 「あなたにはぜひ見せたくてな」  澄んだ瞳で見つめられると、心臓がドキリと跳ね上がる。  この人の目は本当に宝石のように美しい、とセレスティアは思う。  目は心の窓とも言う。この人の心もまた同じように美しいのかもしれない。 (……? あら?)  その時、不意に強い既視感を覚えた。  この花園、傍らの聖獣、青い瞳、自分を覗き込む青年の顔――。 『聖女殿! 次は私があなたを、必ず――』  声がリフレインする。  あの時、その人はなんと言っていただろうか?  あの時? それはいつで、いったい何が――。 「……セレスティア?」  はっと気がついた。  青い双眸が不安げに揺れながらセレスティアを映している。  セレスティアはごく間近で、アレクシスに支えられていた。 「大丈夫か? ふらついていたぞ。気分でも悪くなったのか?」 「も、申し訳ありません、少しぼんやりしておりました。大丈夫です。そんなことよりお昼に致しましょうか! メイ、バスケットを持ってきて頂戴」  いつの間にか全員に心配されていたセレスティアは、慌ててその場を仕切り直した。  料理長の用意してくれたバスケットには、薄めに切ったパンにハムや葉野菜、マリネなどを挟み込んだサンドイッチや、新鮮な果物、チーズに焼き菓子までたっぷり詰められていた。  自慢の料理に舌鼓を打ちながらの談笑は、これまでになく楽しい時間となった。  だからこそ、心のどこかにあの奇妙な既視感とフラッシュバックに対する引っ掛かりが残っていた。  帰り際、もう一度花園を振り返る。  アレクシスが気に入っているというこの迷宮が、セレスティアにはどうしてか酷く気になっていた。 (あれはなんだったのでしょう。白昼夢かしら、それとも……)  答えはない。  ひとつため息をつくと、セレスティアはアレクシスと連れ立って花園を後にしたのだった。
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