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祖父が亡くなり、私は東京に出てきた。
祖父の遺品にあった、母の手紙の宛先人のことも気になったからだ。
手紙に母は、自分の病気のことや、生まれた娘である私のことを書いていた。十中八九私の父親だと思った。
父親は生きているかも知れない。
そう思って東京に出てきた。
手紙は高坂春樹後援会事務所、大澤崇宛だった。書かれていた場所に向かったが、そこには目当てのビルは見当たらず、立体駐車場になっていた。
高坂春樹は与党の幹部で国土交通大臣も勤める人物だ。年齢はそろそろ喜寿を迎えるらしい。
大澤崇はそこに勤めていた人のだろう。
手掛かりはそこで途絶えた。
けれど高坂春樹に何とかたどり着けば、消息が掴めるかも知れない。
私は気長にこの問題に取り組もうと、小さなアパートを借りて暫く東京で暮らすことにした。
今は昼はスーパー、夜は清掃の仕事をして週六日働き、何とか日々を送っていた。
今日の仕事場は月夜見ホールディングスという会社のビル。地下二階、地上三十階建てで、屋上にはヘリポートと温室がある。
ヘリポートまで行く階段は鍵が掛かっているが、このビルで働く人たちの憩いの場として、開放されている温室の扉は鍵が掛かっていない。私はその温室がお気に入りで、このビルに来ると休憩時間はいつもそこへ行っている。
休憩時間、私は自分で握った雑穀米おにぎりと、ほうじ茶を持って皆と別れて、エレベーターで最上階に向かった。
そろそろ秋も深まり、夜ともなると気温はぐっと下がる。それでも田舎の寒さに比べれば、まだましな方だ。
屋上に出ると、そこに温室とコンテナガーデニングがあり、ヘリポートはそこから階段を昇っていく。
「うわあ、綺麗なお月様」
いつものベンチに座り空を見上げると、大きな月がちょうど一番真上に見えた。
遥か下からは雑踏の音が聞こえる。
「いただきます」
私はおにぎりをひと口齧った。
祖父と一緒に食べていたものは、野菜や魚中心だった。ご飯は白米と玄米を合わせたもの。漬物などは自家製で味噌なども近所のおばあちゃんたちと一緒に作った。
近所には畑で野菜などを栽培している人が多く、祖父と私も庭の片隅で色々と育てていた。
「美味しい…」
こうしてスーパーで買った食材で自分で握ったおにぎりを食べていると、一番ほっとする。
「都会って、こんなに人や物が溢れているのに、私には誰もいない」
まだ東京に来て二ヶ月足らずの私は、仕事とアパートを往復し、時々近くのスーパーへ買い物に行くだけの日々だった。
仕事で接する人はいるけど、皆その場限りの付き合いでしかない。
「寂しい」
思わずぼそりと呟いた。
『お前は誰だ』
「え!」
不意に鋭く問い質す声が聞こえ、ビクリとなる。
「え、だ、誰?」
周りには誰もいない、キョロキョロ辺りを見回し、ついでに上を見上げても誰もいない。
「ここで何をしている」
「ぎゃぁぁぁ」
夜空を見上げた私の視界に、いきなり人の顔が割って入ってきて、驚いて悲鳴を上げた。
「あ!」
手から食べかけのおにぎりが落ちて、無駄と思いつつ咄嗟に手を伸ばした。
「え…」
地面に落ちると思っていたおにぎりが、空中で一瞬止まり、私は伸ばしかけた手を引っ込めた。
「な、なんで…」
「拾わないのか? せっかく落ちるのを防いでやったのに」
男の声が頭の上から降ってくる。おにぎりを見つめる私の視野に高級感溢れる革靴と、細身の黒いビジネススーツの裾が入り込む。
(え、いつの間にこんな近くに?)
屋上の扉を開ける音も聞こえなかった。扉からここまでそれほど距離はないが、人が近寄れば気がついた筈だ。
なのに、声の主はまるで突然空間から現れたかのように、私の目の前にいた。
「君は誰だ。ここで何をしている」
もう一度男が尋ね、私の体は糸で引っ張られるように上に持ち上げられた。
「!!!」
男は手を使っていない。紐に縛られてもいないのに、どういうことだろう。訳がわからない。何がどうなっているのか。
すっかり頭がこんがらがって、思考がまとまらない。これは夢なのか。
何とか逃れようと身を捩ろうとしたが、首から下は金縛りにあったかのように動かない。
「答えろ」
静かだが力強い男の口調に、私の視線は釘付けになる。さっきは驚いてきちんと確認できなかったが、私に詰問する男性は、驚くほど整った顔立ちをしていた。
まるで外国の俳優。いや、こんな美形がこの世にいるのかと思うほどに、美しい顔が目の前にあった。
白く透き通った肌は、どんな手入れをしているのかと聞きたくなるほどにきめが整い、毛穴すら見えない。
高くすっと通った鼻筋に、切れ長の瞳。眉も美しく整えられている。
柔らかくウェーブがかかり、顎のラインに切り揃えられた黒髪。身長は百八十は超えているだろう。仕立ての良い光沢のある黒の上着に黒いシャツ。ネクタイだけが淡い水色だ。
何より特徴的なのは、その瞳。
まるで猫の目のように縦長の瞳孔は濃い緑で、その周りを黒い瞳が取り巻いている。
「あ、あの…わ、私…ここの清掃を」
質問が何だったかと必死で思い出し、たどたどしくそう答えた。
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