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6
パーティー会場だったホテルを出た後、私達は車から降りて人気のない川沿いを、手を繋いで歩いた。
「ありがとう」
「君のためにすることに、いちいち礼はいらない」
「それでもお礼を言いたいの。私一人ではここまで出来なかった。全部あなたのお陰だから」
彼は母の手紙を手がかりに、父について調べてくれた。
高坂崇。旧姓大澤崇。彼と母の間にどのような会話がされたかまでは、さすがの彼も全部を調べることは出来なかったが、彼が私の父親だと言うことはすぐにわかった。
「彼から少し君と似た匂いがした。あの息子と娘からも」
「そうなんですか」
「ほんの少し似ているだけだ。醜悪で臭くて吐きそうだった。君の匂いを嗅いで何とか耐えた」
あの場で彼が私の手に口づけしたのは、そういう意味があったようだ。
けれど次の瞬間、私に向かって微笑んでいた彼の表情が、不意に強張った。
「どうしたの?」
「俺の側から離れるな」
只ならぬ空気を醸し出し彼がそう言った時、覆面をした十人くらいの男たちが、暗闇からバラバラと現れた。手には長い棒を持っている。地面に当たるとカラカラ音がするのは、多分鉄パイプか何かだろう。
「何の用だ?」
冴え冴えとした冷気を漂わせ、彼が問いかける。
「やっちまえ!」
その質問には答えず、男たちは掛け声と共に棒を振りかざして襲いかかってきた。閨さんはさっと左手で私を引き寄せ、右手を前に突き出す。
「な!」
男たちは腕を上げたまま、そこから一歩も動けなくなる。だるまさんが転んだを本気でやっているように、思い思いの体勢のままその場で硬直している。
「質問に答えろ。お前たちは誰に頼まれて来た?」
閨さんの瞳が、闇夜に煌々と光り輝く。
「ぐ…」
「うう」
「ぐぐぐ」
男たちは苦しげに唸り、閨さんの力に抗おうとするものの、まったく敵わず彼の力の前に為すすべもなく歯を食いしばっている。
「ぐはっ」
「ウゲッ」
持ち続けることが出来ず、カランカランと鉄パイプが地面に落ちていく。潰れた蛙の鳴き声のような唸り声を漏らし、一人また一人と倒れていった。
「正直に答えるなら命は助けてやる」
「ば、ばけ…もの」
地面に突っ伏した男の一人が、顔を持ち上げて言った。
「お前…さっきあの会場にいた男だな」
覆面を取り去った男の顔には見覚えがあった。パーティー会場の壇上のすぐ脇で、高坂一家の警備をしていた人だ。
「誰の指示だ? 高坂春樹か、高坂崇? 」
「……」
男はぐっと口を真一文字に結び、彼の問い掛けに答えない意志を示す。
「高坂瑞稀か」
暗闇で閨さんが目を細める。
『答えろ』
彼の瞳が輝きを増すと同時に、口調が変わった。声音に力が宿ったのがわかる。
その声で命令されたら、並大抵の者は抗えない。
私はなぜか初めから耐性があって、彼が意識して力を強くしないとなかなか効かない。けれど、他の人にはすぐに効いた。
「……そうだ。瑞稀…様」
その男は顔を顰めながら、そう答えた。
「なぜだ?」
「崇様の娘…その娘が…二度と近寄らないように…脅せと」
一度話し出すと、男は立て板に水の如くべらべら喋りだした。
婿養子の崇が私の母と不倫をしていたこと。それを知った高坂瑞稀が、母を今みたいに脅して追い払ったこと。手紙も彼女の指示で、中身も見ず彼が受取拒否をして送り返したこと。
「彼は…知らない。全部瑞稀様が…」
私の遺伝子上の父、高坂崇は、母が私を身籠っていたことも知らなかったらしい。
「私は…父に捨てられたわけじゃなかった」
心のどこかで、父という存在に疎まれていたのではと、そう思っていたが、そうでなかったと知り、幾分心は救われた。
「脅され引き裂かれたお母さんの恨み、あの女に晴らすなら俺が手を貸すが、どうする?」
閨さんなら、たとえ政治家の高坂家であっても躊躇せず完膚なきまでに叩き潰せるだろう。
「いいえ。出来ればもう、関わりたくない。父も、異母兄妹になる彼らとも…私の家族は母と祖父だけでいい」
五人のあの中にいる自分の姿など、まるで想像がつかない。
「そうか。君がそう望むなら、もう彼らとは関わらないようにしよう。熾」
「御前に」
閨さんの側近の男性がどこからともなく現れ、目の前に膝を突いた。
「その男たちに術をかけて、命令は果たしたとあの女に報告させろ」
「御意」
「それからあの女のことを調べて、弱味を見つけろ。今度はこっちが反撃してやる」
「閨さん」
そこまでしなくてもと思ったが、彼は「これはけじめだ」と言ってきかなかった。
「それはそうと、俺は君の家族にしてもらえないのか?」
寂しそうな声が閨さんから聞こえた。
「私は、あなたにとって餌じゃ?」
色々私のために骨を折ってくれたことは感謝するが、それは私の血が物珍しく、偏食の彼の嗜好に合っただけに過ぎない。
「花嫁だ。血だけじゃない。俺は雪緒の心もほしいんだ。吸血鬼にとって、好みの血も持つ相手には、一生出会えるかどうかわからない。これは運命なんだ」
「運命…」
「命尽きるまで…雪緒が望んでくれるなら、ずっと側にいさせてくれ。俺を、君の夫、花婿として」
「ずっと、いてくれるの? 家族になってくれるの?」
「俺の花嫁になって、そしていつか愛してくれることを願っている」
「あ、愛…」
「雪緒の身も心も、全てが愛おしいんだ」
彼からの愛の告白に、私は目を丸くする。
私の血が好みだと言うのだから、その持ち主(?)である私自身を、大切に思ってくれるのはわかる。
でもそこに「愛」はなくても、十分関係性は成り立つ。
なのに、彼は「愛」を囁く。
母も祖父ももうこの世にはいない。遺伝子上の父には、家族がある。一人になった私に新しい家族が出来る。そしてその人は、余程のことがない限り、私を一人にはしない。
側にいて、その対価に多少の血を与える。それはすごく魅力的な提案だった。
「閨さん」
「閨だ。君には俺をそう呼ぶ権利がある。君は特別だ」
「特別…」
「そうだ」
閨は私を優しく抱き寄せ、手を取ってそこに唇を寄せる。守られていることの安心感と、一人じゃないという思いに、私は祖父を亡くしてからずっと張りつめていた気持ちが解れるのを感じた。
「でも、いつか私の血の味に飽きたりしない?」
それでも、やはり不安はある。何しろ相手は吸血鬼。吸血鬼の実態も思考も、私にはまるで未知の領域だ。
「俺は偏食家だが、一度気に入ったものは飽きることはない」
「でも、私と同じ血の…半分血の繋がったあの子は? 似ているんでしょ?」
「あんな毒々しいもの、他の吸血鬼だって欲しがらない。悪臭もいいところだ」
「そ、そんなに…酷い?」
体臭のようなものなのだろうか。血の匂いなど、鉄臭いとしか思えないけど。
「きっと雪緒が育ってきた環境も影響しているんだろう」
「環境?」
「空気がきれいで、土も肥え、そこで育てられた良質の物を食べてきた。添加物の摂取も極端に少なく、雪緒自身がオーガニックなんだろう」
「私が…オーガニック」
野菜は聞いたことがあるが、人に対しても当てはまるとは思わなかった。
「たとえ似た遺伝子を持っていても、関係ない。雪緒だからこその血の味なんだ」
「私…だから」
「君の覚悟が決まるまで、いくらでも待つ。だから側には居させてくれ」
元より私が身を寄せる場所はもうない。となれば、このまま彼と居ても私には不利益はない。むしろ、誰か…それが人じゃないにしても、側に居てくれる人がいる。私は一人ではなくなる。
「はい」
献血なら経験がある。それが血液バンクではなく、月夜見閨に変わるだけ。
私の答えに、パアッと彼の顔が輝きを放った。
「幸せにすると約束する」
「大丈夫です。今でも幸せです」
誰かにもらう幸せではない。
これは私が選んだ道。後悔はしない。
「ならもっともっと幸せにする。君の血が俺の血肉になるように。俺の愛が細胞すべてに行き渡り、俺の愛が空気のように、君にとって無くては生きられないように、君が溺れるくらいの愛を示そう」
でも私はまだ知らなかった。
月夜見閨の私に対する執着の深さも。溺愛の凄さも。
この後私は、この偏食|吸血鬼(ヴァンパイア)からの甘い愛にどっぷり浸かり、翻弄されていくことになる。
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