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第3話:はじめての恋心
それから幾日かの時が過ぎても、夜に、私がフランツ様の自室に招かれる事はなかった。
ランタンの灯りで照らされた部屋で、私は静かな夜に本を読み物語の中に没頭する。長い夜更かしの後に、最終ページを捲り終えた本を胸に抱えて私はガラス扉から夜空を見上げた。
なんて、美しい月なのだろう。
引き寄せられるようにバルコニーへと出ていく。
ふと、フランツ様の自室に程近い中庭で、熱心に剣術の鍛錬をするフランツ様の姿があった。月明かりに照らされたその表情は、時折左手の甲を見つめて考え込むように眉間に皺を寄せている。きっとフランツ様ご自身が、誰よりも魔力を使えない状況に焦燥を感じているのだろう。
フランツ様の為に私にできる事はないかと考えた時、モニカの言葉が脳裏を過ぎった。
『それでも私達は、フランツ様の記憶が戻らなければいいと祈ってしまうのです』
フランツ様が冷酷な死神に戻ってしまったら、もう二度と柔らかな笑顔を見れなくなるのだろうか。そんな事を思って見つめていると、不意にフランツ様がこちらを見上げた。
目が合った途端に、険しかった表情がふっとほどける。
「どうした? 眠れないのか」
声が聞こえる距離ではなかったけれど、それは口の動きだけで理解する事ができた。
私は手に持っていた本を高く掲げて、「夢中で読んでいました」と口を動かす。フランツ様はそれに頷いてから「面白かったか」と問い掛けた。
「はい、とても」
「そうか、君が楽しめてよかった」
月明かりに照らされた碧い瞳が満足げに細めらていく。その包み込むような笑顔に、また私の鼓動が早くなるのを感じた。妻とは思って頂けないとしても、微笑んでもらえた事が嬉しくて、私は幸せな思いでフランツ様を見つめる。その刹那、フランツ様が驚いたように目を瞬かせた。
「君は、そんな顔で笑うんだな」
フランツ様のその言葉で、私は自分も笑っていたのかと気づいた。
笑みを浮かべるなんて、いつぶりだったのだろう。上手に笑えていればいいけれど……。
ひんやりと冷たい風が吹きつけ、私の髪を揺らしていく。フランツ様は「風邪をひくから、部屋の中へ」と、手を揺らしてジェスチャーしている。
もう少し、貴方様とお話がしたいです。
そんな言葉を飲み込んで、私は「おやすみなさいませ」と告げて部屋の中へ戻った。
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