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庭師のトーマンが美しく咲いた花を私とモニカに届けてくれた。トーマンはモニカの旦那様で、三十一歳になる赤毛の男性だ。モニカも同じ髪色をしており、二人とも明るい性格の似た者夫婦だ。
「トーマン、有り難う。とても素敵な花ですね」
それは薔薇とよく似た美しい花で、この国の風土にのみ咲く品種らしい。花を贈られたのが初めてだった私は、感謝を込めてトーマンを見つめた。
その後にふと隣を見ると、フランツ様が口元に手を当て、何か考え込むような仕草をされている。そして、午後から行く予定だったあの湖への散歩を取り止めにしてしまった。
「ニーナ、少し用事ができた。すまないが、湖に行くのはまたの機会に」
「は、はい……」
そしてすぐに食事の席を立たれて、城の外へとお一人で馬を走らせて行った。
なにか、フランツ様のご気分を害する事をしてしまったのだろうか。私は悩んで、モニカにそれを打ち明ける。
「ニーナ様、それはきっと……」
モニカには理由が分かったようで、彼女が声を弾ませた。
「それはきっと、男性の嫉妬に違いありません」
「嫉妬?」
「はい。私の夫からお花を受け取ったニーナ様が、あまりに喜んでおられたので、フランツ様は嫉妬されたのではないかと」
「フランツ様が?」
「はい。ご自身もニーナ様に美しい花を贈る為に、外に向かわれたのではないでしょうか」
そうだとすれば、私にはとても嬉しい事だ。
フランツ様に私が嫉妬心を抱いてもらえるなんて……。自分では考えもつないモニカの言葉に、胸の奥でまた鼓動が大きく跳ねるのを感じた。
しかし夕刻にお戻りになったフランツ様は、何も持ってはおらず、私がフランツ様に花を贈ってもらえる事はなかった。
更には翌日も、またその翌日にも、フランツ様は一人でどこかへ向かい夕刻まで戻らない日が続いている。
その合間に騎士達との鍛錬があったり、ハンスから目を通して欲しいと言われた執務をこなされたり、私はフランツ様とゆっくりとした時間をとることが出来なくなっていた。
「モニカ……。やはり私は、何かフランツ様のご気分を……」
せっかく心を重ね合う事が出来たのに、私はもう、フランツ様に失望されてしまったのだろうか。
「それはありません!」
モニカが大きな声で断言する。
「今朝もフランツ様は、デザートのパイを嬉しそうに食べるニーナ様の横顔を、幸せそうに見つめていらっしゃいました。その眼差しは、愛しくて仕方ない人を見つめる視線でしたから」
モニカの言葉に、頬がカッと熱くなる。
だとすれば、フランツ様はお一人で、何をされているのだろう。夜も考え込むように自室に篭られて、私はしばらくお部屋に招かれていない。
ご本人に、伺っていいのだろうか。
悩む私だったけれど、その日の夕食の席で、私はフランツ様から声を掛けてもらえた。
「ニーナ。君に、見てもらいたいものがある。この後、君の部屋にいくから待っていて欲しい」
そう言って笑ったフランツ様に、私も安堵の笑みを浮かべた。
「ニーナ様、良かったですね。きっと城の近くには咲いていない花を、ニーナ様の為に見つけて来て下さったのですよ。それでは、私は失礼いたしますね」
モニカが微笑んで、私の部屋を後にする。
しばらくして部屋にノック音が響き、フランツ様がいらっしゃった。けれどフランツ様は、その手に何も持ってはいなかった。
「フランツ様、見せたい物というのは……」
首を傾げる私に、フランツ様が微笑む。
「両手をこちらに出して」
その言葉に、私はおずおずと左右の手を前に出した。
そこにフランツ様が左手をかざし、ゆっくりと詠唱する。巨大な氷の壁を出現させるはずのその手が、細く繊細な氷を生み出し、少しずつ、何かを形作っていく。
私の掌の上に、一輪の氷の薔薇が出来上がっていた。
思わず息を飲む。
繊細で、どこまでも美しい透明な薔薇に。
「君に、俺にしか贈れない花を」
フランツ様が、碧い瞳を細めて笑う。
私は胸が熱くなって、泣き出してしまいそうだった。
「でも手が冷たいだろ。欲しければまた作るから、それはここへ」
私の手から氷の薔薇をとり、部屋にある花瓶にそれをさす。
「ずっと、この魔力を調節できないかと考えていたんだ。フル出力で障壁を作りだす以外に、訓練すれば、もっと繊細なものが作り出せるんじゃないかって……。そうすれば、氷の剣も槍も、盾だって作り出す事ができる。失敗すれば周りを傷付けてしまうから、遠くまで出掛けて試していたんだ」
現状の力に満足する事なく、常に最適を求めるフランツ様に、私は改めて尊敬の念を抱く。
「きっかけは、君への嫉妬だけど」
小さく呟き、フランツ様が視線を逸らした。
「花を貰った君が、あんまり嬉しそうに笑うから……。俺が一番最初に、君に花を贈りたかったと悔しくなった。城に咲く花を贈っても、それは庭師のトーマンが愛情をかけて育てた花だ。俺だけが君に贈れるものはないかと考えた時に、魔力を調節して使う事ができないかと思いついた」
フランツ様が私を抱き寄せ、言葉を続ける。
「でも、君の手を絶対に傷付ける訳にはいかないから、完璧に扱えるようになるまで随分時間が掛かってしまった。どうしても、見たかったんだ。君があいつに見せた顔より、ずっと嬉しそうに笑う顔を……。自分でも少し呆れてる。こんなに、嫉妬深い男だったなんて」
嬉しさと、愛しさで、心の中が充満する。
私は背伸びをして、フランツ様の首元に抱き付いた。
「嬉しいです。とても、とても嬉しいです。フランツ様だけの贈り物を有り難うございました。けれどフランツ様、私はフランツ様が、側で笑って下さる事が一番の幸せです。どんなに高価な物より、美しい花束より、あなた様の優しい心が映し出されたその笑みに、私は心を奪われています」
フランツ様と、愛しい口付けを交わす。
息が上がるほどの熱い口付けに、氷の薔薇が溶けて、花瓶の中でカランッと軽快な音を響かせたのが小さく聞こえた。
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