メモしないで

1/1

10人が本棚に入れています
本棚に追加
/16ページ

メモしないで

 この店は衝立で区切られているだけで、特に個室というわけではない。しかし隣の客の顔は見えないし、店員も必要な時にしかやってこない。不必要な緊張が笹生をじんわりと支配してゆく。 「――えーと、ベロが」 「ベロ」 「なんか性的な動きをするというか」 「性的な……」  冬木は胸元から手帳を取り出し、何故か言われたことを書き記している。 「ちょっと何メモ取ってんすか」 「忘れないように」 「やめて……」  笹生は恥ずかしくなり、冬木の持っている手帳を隠すように手を伸ばした。 「恥ずかしいなら言わなければ良いのに。笹生くん、律儀ですね。で、性的とは」 「言わせようとしてんのそっちじゃないですか。捷吾さんがそんな人なんて、解釈違い……」 「……捷……」 「あっ、いやあの今のは!」 「まあいいです。役職で呼ぶなと言ったのは私ですから」  勢いで名前を呼んでしまった笹生は、アルコールが入っているのも手伝ってみるみる顔に血がのぼっていく。しかも解釈違いなんてわけのわからないことを言ってしまった。普通に考えて失礼だろう。しかし冬木は慌てる部下の様子にも動じず終始淡々としており、その様子が笹生の羞恥心を更に煽った。 「どう解釈してたんですか?」 「……クソ真面目な人かと思ってました」 「その解釈は恐らく合ってますよ。だから知りたいんです」  冬木が生ビールを半分ほど空けると、顔色がほんのり色づき、表情が和らいだ。 「それで、性的とはどんな」 「もしかして絡み酒タイプなんですか……?」 「どうでしょうね。あまり僕は人とは酒を飲まないので」  普段から冬木の一人称は『私』だと思っていたが、ふと漏れた『僕』という言葉にそわそわする。 「……冬木さんて、一人称『僕』なんですか?」 「プライベートでは」 「萌えるんですが」
/16ページ

最初のコメントを投稿しよう!

10人が本棚に入れています
本棚に追加