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道理で、と僕は納得した。彼女に手紙を送ってきた母親は王都に住み続けているのに、次女のエマだけ何故こんな田舎町の別宅に移ったのか。
貴族社会について僕はさっぱりわかっていないが、やはり婚約破棄というのは非常に不名誉なことであるらしい。この美しく優しそうな女性を、どこぞの侯爵家の男が捨てたというわけなのだ。なんだか、腹が立ってしまう。
「その、侯爵家の次男さん、でしたっけ。エマさんを婚約破棄したのって。その人のことを、まだ愛してらっしゃると?」
首を突っ込むべきではない。わかっていても、僕は尋ねずにはいられなかった。
「もちろんよ」
僕の問いに、エマははっきりと頷いた。
「捨てられたのに何故?と思うでしょう?でもね、わたくしと彼……ネイト・コールマンは、本当に愛し合っていたの。わたくし達は十二歳で婚約し、それからずっと二人で時間を積み上げていったわ。その十年の重みは、何物にも代えがたい価値があり、信頼に匹敵するものなのよ」
「十年、婚約者として付き合ってきたのに、婚約破棄されたんですか?」
「そう。あの方がどれだけ優しく、賢く、美しい信念と覚悟を持ち合わせているかはわたくしが一番よく知っています。だから解せないの。そんな方が、わたくしを婚約破棄した。それも、かなり厳しいことを言われて。まるで、わたくしに嫌われたいようだったわ。……あの方が本心からそんなことをするはずがない。きっと何か、訳があったのよ」
驚いた。この女性の目には、ひと欠片も疑心はない。本来ならば、自分を婚約破棄した婚約者に未練はないとか、復讐してやるとか、不幸を望むとかそういうことを考えるのではないだろうか。何故、婚約破棄されたのに、それでもかの人を愛することができるのか、信じることができるのか。
それこそが多分、彼女が言うところの“積み上げた十年の重み”というやつなのだろう。まだ子供で恋もしたこともない僕には、想像もつかない話だった。
「ついでにお願いできるかしら、妖精さん」
彼女はポケットから、既に書いていたであろう手紙を取り出した。
「こちらを、ネイト様に届けてくださるかしら」
「え、で、でも……」
どうやら、彼女は婚約者に手紙を出そうと思っていたところだったらしい。確かに、僕がきちんと記録さえつけていれば、一度郵便局に手紙を持ち帰らなくても直接配達していいことにはなっている。が、問題は僕の担当エリア外だった場合だ。その場合は一度局に持ち帰るか、担当エリアの妖精に仕事を引き継ぐ必要がある。
ところが、僕は住所を見て驚いた。なんと、ネイト・コールマンは今僕がいるロクソ地方の町にいるらしい。住所が、少し飛べば行ける町になっている。
「ネイト様、元々は王都に住んでらっしゃったんですけど、今は仕事の関係でロクソ地方の別宅にいらっしゃるんですって。お父様から聴いたの」
だからね、と彼女は懇願するような眼で言う。
「お願いするわ。手紙を届けてくれるだけでいいの。……わたくしはどうしても、この愛だけでもあの方に届けたい。向こうがもう、わたくしを愛していなくてもいいの。……あの方を愛しているだけで、わたくしは幸せになれるのですから」
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