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 ぽたりぽたりと垂れ落ちてくる雫を眺めながら、𠮷信は目を伏せた。  木綿の小袖を尻端折りにした旅人姿の男である。事実、𠮷信は山ひとつ越えた先の町からやって来ていた。  腰に下げた煙管筒を袖で拭く。急に降り出した雨を前にため息をついた。災難だ。 「もし、ご一緒してもよろしいだろうか」  雨宿りしていた木陰に、ぬるりと入ってくる影があった。その男の風体に、わずかに目を見開く。  宵闇のごとく黒い僧衣を纏った虚無僧だった。すっぽりと被った深編笠で、人相こそわからないが、声は若い。尺八や錫杖の類は持たず、代わりに三味線を背負って、片腕に赤子を抱いていた。  奇妙な坊さんだな。  そう思いながらも場所を空けてやる。吉信は特別善良というわけでもなく、なんなら人付き合いも不得手な方だったが、子連れを雨の中に追い返すほど冷血でもなかった。 「おお、よしよし。少し濡れてしまったね」  僧は赤子をあやしながら、まろい頬を手拭いで拭いた。赤子はむずがる様子もなく受け入れている。くしゃくしゃの黒髪から水滴を滴らせる赤ん坊は、身じろぎもせず、喃語も発することがない。作り物みたいに静かな赤子だった。 「そりゃあんたの子か」  気紛れにぽつりとそんな言葉を投げた。赤子があまりに不気味であったからかもしれない。 「拾い子だがね。まあ、縁があったという点では、拾うのも授かるのも大差ない」 「縁……縁か、なるほど」  𠮷信は頷いた。縁、しっくりくる言葉だ。 「お前さんはどちらへ?」  今度は僧が話を振ってきた。 「湯治や参拝ってわけではなさそうだが」 「まあ、そうだな」  頷く。僧の疑問は最もだった。  このあたりは主要な街道からは随分と外れた所にある。参拝や湯治を目的にした旅人が訪れる土地ではない。 「……この先にある山村に用があるんだ」 「親戚でもいるのかい」 「いや、女房を探しに」 「へえ」  僧は驚いたような、揶揄するような、意図のわからぬ感嘆をあげた。 「俺に女房がいるのが不思議か?」 「いいや、そこは意外ではないよ。ただ、女房を心配して歩き回るほど、入れ込む性質に見えなかっただけさ」 「失礼な事を言いやがる。だが、まあ、そうだな。確かに、そうだ。俺はあれが他に男を作って逃げちまっても構わねえと思ってる」  𠮷信は平淡な声で返した。僧は首を傾げるような仕草をする。 「好き合って夫婦になったんだろう。不貞を働かれたら、怒るか嘆くものではないか?」 「まあ、普通はそうだろうよ」  だが、本心からそう思っていた。  女房が好いた別の男とよろしくやっているのなら、それでも良いと。  そう思えるだけの理由があった。
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