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3
広い田畑の奥に、ポツポツと家屋が並ぶ。その中でも一等大きい家が、𠮷信の知人の家だった。
「ごめんください」
戸を叩くと、ちょうど出てきた知人――森蔵が、𠮷信の顔を見て驚いた顔をする。
「𠮷信じゃないか、珍しいこともあるもんだ」
「お野々が来ただろう。帰りが遅いので迎えに来たのだ」
「お野々ちゃんを?」
森蔵は眉を上げた。僅かに瞳が揺れる。両手を合わせて擦った後に、彼は「昨日の朝には帰ったが」と不思議そうな顔をした。
「行き違いか? 最後はどのあたりで見かけただろうか」
「そうさなぁ」
森蔵は顎をさする。――その時だった。
ぐらり、大きく地面が揺れた。地揺るぎか、と𠮷信はとっさに姿勢を低くする。
オオオオオオオオッ!
「な、なんだ……?」
直後に聞こえた唸り声に背筋が震えた。獣の声とも人の声とも違う種類の雄叫びが、地鳴りを伴って村を襲った。
「ひっ、ひいいいっ」
森蔵が床に転がって頭をかかえる。その酷い怯え様を訝しんでいると「おい森蔵さん、どうなってるんだ!」と村人たちが駆け込んできた。
泡を食った様子に、思わず道をあけてしまう。
「竜神様が怒っておられる! 昨日、花嫁を捧げたばかりだというのに!」
「今回の花嫁はここの娘だったろう! 何か、竜神様を怒らせるような事をしでかしたんじゃないだろうね!」
目を吊り上げて森蔵を詰る村人たちの言葉に「花嫁?」と首を傾げた。すると、やっと𠮷信の存在に気がついたのだろう、恰幅の良い男に「余所様に聞かせるような話じゃねえよ」と森蔵の家を追い出されてしまった。
森蔵は𠮷信を引き留めることもせず、終始何かに怯えているようだった。
𠮷信は途方に暮れた気持ちで村の中を彷徨った。
お野々は帰ったという。すれ違ったのだろうか。ならば、家の者が使いを出すだろう。――しかし、どうもきな臭い。
「や、また会ったね」
「…………あんたか」
民家の少ない畑の前で、あの虚無僧が待ち構えていた。しゃんと背筋の伸びたその僧は「会わせたい人がいるんだ」と近くの小屋を指差す。
小屋の前にはつるりとした面をつけた、桃色の着物の若い女がいた。
「この村には1年に1度、竜神様に嫁入りする娘を選ぶ風習があります」
僧と𠮷信と向かい合わせに座った女は、訥々と語り始めた。
「選ばれた娘は夕暮れ時に黒い花嫁衣装をまとって、あだが漕ぐ小舟に乗せられ、川をくだります。川は途中で鍾乳洞に入りますが……その出口から花嫁が出てきたことはありません。空の舟だけが流れ出てくるのです」
「つまりは生け贄だ」
僧が口を挟んだ。
「あだというのは?」
「この面をつけた者たちのことです。身寄りのない者や、余所者を村に住まわせてやる代わりに、村人のやりたがらない仕事をさせています」
𠮷信の眉が上がる。
では、この女はあだということになるが、それにしては話し方や雰囲気が、それらしくない。
視線に気がついてか、女は面を外した。ふっくらとした丸い頬の、可愛らしい娘だった。――この顔には、覚えがある。
「……お前、お雪だな?」
「はい。昨日、花嫁になる筈だった――森蔵の娘です」
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