第10話 他人の目なんて気にするな

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第10話 他人の目なんて気にするな

 私が、魔樹化しかけていた雑草を枯らした?  神官たちが、三日三晩、燃やし続けなければ駆除できない、そんな危険な植物を?  いや、まさか…… 「お前の言いたいことは分かる。俺だってまだ半信半疑だ。でも理屈なんてどうでもいい。結界の中に手を突っ込んで、その銀じょうろに入ってる水を魔樹にぶっかけてみろ」 「簡単に言ってくれますけど、いくらなんでもあの中に手を突っ込むのはちょっと……」 「大丈夫だ。瘴気は鼻や口から吸い込まなければ無害だ」 「そう言われても……」 「頼む!」  ドス黒い結界を見る。  いや、やっぱりあかんやつやで、あれ……  そう思いつつ、私は半分諦めた状態で大きく息をついた。 「分かりました。やってみます。で、でも……ほんっと期待はしないでくださいね?」 「……期待なんてするかよ。確かめたいだけだ。それに俺だって今まで魔樹の研究をしてきたのに、ポッと出の女に対処法を見つけられてしまっちゃ立場がないだろ?」  憎まれ口を叩いているけれど、何だかいつもの口調とは違って優しさがあるように思えた。  もしかして、これは私が抱く責任感を軽くしようとしてくれているのかもしれない。そういえばこの人から、私に期待するような発言、聞いたことがないかも。  少しだけ、気持ちが軽くなった気がした。  意を決し恐る恐る結界に近付くと、アリエスが神官たちに目配せをした。それに頷くと、三人のうちの一人がかざしていた手を下げた。  これで結界内に手を入れることができるようになったらしい。  銀じょうろを持つ右手をドス黒い塊の中に突っ込むと、そのままギリギリ頭が結界に入らないように、肩まで中に入れる。  結界に遮られているから臭いはないけれど、突っ込んだ右手の肌に外気とは違う濃い湿度を感じた。ベタっとしていて凄く気持ちが悪い。 「凄く気持ち悪いですけど、これ……本当に身体に影響ないんですよね、アリエスさん?」 「大丈夫だ、そのままいけ」  不安しかないんだけど。  右手で握る銀じょうろを傾ける。  じょうろの重さが少しずつ軽くなっていき、中の水が注がれていくのが分かる。  全てを注ぎ終わり、じょうろと一緒に手を抜いた。急いで出てきた手を確認したけれど、どこも変わったところはない。先ほどまで感じていた妙な湿度もなくなっている。濡れているかと思ったけれど、出てきた肌はサラッと乾いていた。  あとで念入りに手を洗っておこう。  その時、 「嘘だ……」 「し、信じられない!」  結界を保っていた神官達の驚き声が響き渡った。何事かと彼らを見ると、アリエスを含めた皆の視線が、結界内に満たされていた黒い瘴気に向けられている。  先ほどまで黒一色だった結界の中が、見えるようになっていた。  ここで私は初めて、魔樹化した植物を目にすることになる。  それは瘴気と同じく真っ黒な草だった。  私の肘ぐらいの大きさだけれど、明らかに、お前植物って名乗っちゃ駄目だろうという異形をしていた。  魔樹は、魔樹の種が植物に寄生することで発生するらしい。元の植物に寄生するように突き出した触手が、寄生した魔樹本体なのだという。触手の先には、まるで肉団子のような真っ赤な塊がついていて、ぱっくりと口を開けていた。そこから真っ黒な煙が立ち上っているのが見える。きっとあれが瘴気なんだ。  だけど私たちが見ている間に、触手たちがシワシワにしおれていく。瘴気を吐き出す真っ赤な塊が枯れて、ポトッと地面に落ちた。  そして程なくして植物全体がカラカラに乾いて朽ち果てると、結界内が外と同じように完全にクリアになった。  神官の一人が結界に手をかざすと、声を震わせる。 「瘴気が完全になくなっています! 魔樹が駆除された模様です、アリエスさま」 「間違いないか?」 「はい!」  自信に満ちた神官の声が響く。それと同時に、魔樹化した植物を覆っていた結界が消失した。  不要になったから消したんだろう。  結界を保っていた神官たちもホッと息をついている。今までずっと結界の維持のために魔法を使い続けてきた疲労と緊張感から解放されたからだ。  魔樹だった残骸が、外の空気に触れてパタパタとはためいている。  それを見てもまだ実感が湧かない。  あれだけ対処が難しいとされていたものを、私が水をかけただけで枯らしてしまうなんて……  アリエスは座り込むと魔樹の残骸を漁りだした。心なしか、丸まった背中が寂しそうだ。時折プルプルと震えている。  そういえばさっき『俺だって今まで魔樹の研究をしてきたのに、ポッと出の女に対処法を見つけられてしまっちゃ立場がないだろ?』とか言ってたっけ。  本当に立場奪っちゃって、落ち込んでるのかもしれない。  どんどんと積み上がっていく研究資料が思い出された。 「あっ、アリエス……さん? あの、わたし……」  声をかけてはみるが、これ以上何を言って良いのか分からない。  オロオロとしていると、アリエスがフラリと立ち上がった。そしてゆっくりとした足取りで私に近付くと、 「凄いぞ、ホノカっ‼」 「ひぇっ⁉」  突然抱き締められたかと思うと、そのまま抱き上げられてしまった。  抵抗して足をバタバタさせるけど、全く力が緩まない。ひょろっとして見えるのに、意外と力が強い! 「はっ、離してくださいって!」 「これは、魔樹撲滅への一歩になるかもしれないぞ! もっと研究を進めて――」 「だから人の話を聞け――っ‼」   私の怒りの肘鉄が、アリエスの脳天に直撃した。彼の身体が崩れ落ち拘束が解除される。奴は頭を押さえながら、若干涙目になった瞳を恨めしそうにこちらへと向けた。 「いってぇ……お前ってやつは……いきなり殴らなくてもいいだろ」 「正当防衛です」 「正当防衛って、俺、お前に危害を与えること、微塵もしてねぇけど!」 「知ってますか? ハラスメントって相手が不快に思うかどうかが重要なんですよ?」 「知るかよ!」 「あれ? ハラスメントの意味、ご存じだったんですか?」 「しらねーよ! でも何となく察しはつくわっ‼」 「なら結構です」  まだやんのか? と言わんばかりに、銀じょうろの筒部を左の手のひらの上でトントンしながら睨みつけると、アリエスは口を閉ざした。  それ見て、私は彼に背を向ける。  ……思った以上に心臓がバクバクしてる。  顔、赤くなってないかな?    その時、突然外が慌ただしくなった。  結界を守っていた神官の一人が様子を聞きに部屋から飛び出し、顔を真っ青にして戻ってくる。 「アリエスさま、大変です! 街の一角に……魔樹が発生しました!」 「状況は?」 「すでに瘴気が発生していて、神官達が現場に向かっております。正確な被害はまだ分かりませんが、瘴気を吸い込んだ住民が複数名、現在治療を受けていると」 「……分かった」  アリエスは頷くと、私を見た。  何故彼が私を見るのか、理由は嫌というほど分かる。  だから思わず後ずさりしてしまう。 「で、でも……魔樹を枯らしたのが、私の力かどうか分からないじゃないですか! み、皆さんを期待させるだけさせて、失望させるのも申し訳ないですし……」    皆の失望した顔を想像しただけで、心臓がバクバクと激しく音を立てる。  だけど、 「他人の目なんて気にするな」  アリエスの静かでありながら力強い声が、私の鼓膜を打った。同時に、心臓がドクンと跳ね上がる。私が今抱く気持ちを、真っ直ぐに言い当てられたからだ。  言葉を失っている私に、アリエスが続ける。 「本当に嫌なら無理強いはしない。だが他人の目や評価を気にして言ってるなら気にするな。責任を問われたら俺が全部引き受けてやる。お前がやらかした後始末は、俺が全部引き受けてやる。それが――」  いつも憎まれ口を叩いている彼の口が、優しく微笑む。 「仮にもお前の上司を名乗っている人間の仕事だろ?」  何も言えなかった。  元いた世界では聞くことのなかった言葉を、言って欲しかった言葉を、無責任と自分勝手を形にしたようなこの人の口から聞くことになるとは思わなかったから。  胸が苦しい。  瞳をぎゅっと閉じると、大きく頷いた。
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