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第12話 諦め
結界の前には、アリエスの他に、数人の神官達が集まって話し合っていた。彼の手には、私が先ほど神殿で枯らした魔樹の残骸が乗っている。
始めは不審そうに眉根を寄せていた神官たちだったけれど、彼から話を聞き、魔樹の残骸を目にすると、驚いた表情で私のほうを振り返った。
期待のこもった複数の瞳が、私に集中する。
それを見ると落ち着かなくなる。
何とかして期待に応えなければならないという焦燥感に駆られてしまう。
銀じょうろを握る手は、こんなに震えているというのに。
神官達に説明を終えたアリエスが、私の方に近付いてきた。
「とりあえず、作戦はさっき説明したとおりだ。俺たちが魔法で魔樹の動きを止める。お前はそのじょうろを水でみたし、魔樹の根元にぶっかけろ。以上だ」
「分かりました」
「あと、瘴気を吸い込まないように、顔の周りに小さな結界を張る必要がある。呪文は『見えぬ壁よ、瘴気から我が身を守れ』だ。それほど難易度の高い魔法じゃないから、お前にも使えるはずだ」
「分かりました」
「……お前、本当に大丈夫か?」
「大丈夫です」
「本当に……?」
「大丈夫です」
だってあんなに期待された目でみられたら、もう引き下がれないじゃない。
それに、今更死ぬことを恐れるなんて馬鹿げてる。
私は銀じょうろに水をいれると、結界の前に立った。私の隣にはアリエスが、彼の横には魔樹の動きを止めるサポート役の神官たちが五人ほど並んでいる。
万が一、私が魔樹を枯らせなかった場合は、彼らが発する浄化の炎によって、魔樹が焼かれる予定になっているらしい。
「見えぬ壁よ、瘴気から我が身を守れ」
教えて貰った呪文を唱えると、胸の魔石が熱をもった。中に封じ込まれている魔力が、呪文に反応して引き出されている反応だ。
そして一瞬だけ目の前の景色が揺らいだかと思うと、頭部全体が何かに覆われたような気配がした。
アリエスの指先が近付いたかと思うと、見えない壁に阻まれコンッと軽い音を立てた。どうやら魔法は成功したみたい。
まるで宇宙服のヘルメットみたい。
「まず、俺たちから中に入って魔樹を無力化する。お前の出番がきたら呼ぶから、そこで待機していろ」
そういって、アリエスと神官達がドス黒い結界の中に入っていった。
次の瞬間、目が眩むような光が結界内に放たれた。恐らく、瘴気で周囲が見えないから、照明の魔法を使ったのだろう。そして、
「光の鎖よ、悪しき存在の動きを封じろ!」
拘束の呪文を唱える複数の声が結界内に響き渡る。
「いいぞ、ホノカ! 魔樹の動きが止まった‼」
アリエスが私を呼ぶ声がした。
中の詳しい様子までは分からないけれど、先ほどまで暴れて結界の壁をベタンベタンしていた触手の動きはなくなっている。魔樹の動きを封じることに成功したみたい。
瘴気の中に入る恐怖はあった。
だけど、アリエスや神官たちが危険を承知で待ち続けているのだと思い、恐怖を振り払うように首を横に振る。
「行か、なきゃ……」
そう呟くと瞳を閉じ、勢いよく身体を傾けた。
足がバランスを保とうと、一歩前に踏み出す。
黒い空間――瘴気の中へと。
中は、先ほど腕だけ突っ込んだときに感じたような濃い湿度で満たされていた。
肌や服がびちょびちょになってしまうんじゃないかと思うほどの湿度が凄くて、気持ちが悪い。
心なしか、身体の動きも鈍くなっているような気がする。だけど不思議と、肌も服も濡れてはいない。頭部を覆った結界のお陰で、ちゃんと呼吸もできている。
上空に灯った魔法の光を頼りに、アリエスたちを探し出す。
彼らの姿は、ほどなくして見つかった。魔樹の周りを取り囲むようにして立ち、両手を魔樹に突き出している。突き出した手からは光り輝く太い鎖が飛び出し、魔樹の触手を幹に巻き込むような形で絡みついて動きを止めていた。
あの根元に、水を撒けば――
ただそのことだけを考えて、走り出す。
そして根元に辿り着くと、銀じょうろの水をぶっかけた。
これで私の仕事も終わるはず。
しかし、
「何も変化が……ない?」
ちゃんと魔樹の根元に水をかけたのに、魔樹に変化はなかった。相変わらず瘴気を吐き出し、拘束から逃れようと触手が暴れている。
おかしい。
さっきの通りに行くなら、すぐに効果が現れていたはずなのに。
……ああ、やっぱり駄目だったのかな。
あれだけ威勢の良いことを言っておいて、また皆をがっかりさせるのかな。
見たくない。
皆が失望した目で私を見る姿なんて……
嫌だ……いやだ、何とかしないと。
「ホノカ、危ないっ、逃げろっ‼」
「え?」
アリエスの声でハッと我に返ると同時に、目の前に大きな影が落ちた。
影の正体は魔樹の触手。先端には大きな丸い肉の塊がついていて、ぱっくり割れたそこから黒い瘴気を吐き出している。
新しく生えたのか、魔法の拘束から抜け出したのか。だけど思ったよりも動きが遅い。 今なら逃げられる。
だけど身体が動かなかった。
……いや、先に心が負けたといってもいい。
あんなもの、私が水をやったところでどうにかできる存在じゃない。
それに今逃げても、失望した人々が私を待ってる。
触手が私の元に振り下ろされる。
心の中で、何かが折れる音を聞いた。
もう……無理だ。
逃げることも。
皆の期待に応えることも。
変わりたいと思った。
だけど結局、ここでも私は同じだった。
脳内で今までの記憶が駆け抜けていく。
『君には期待しているよ』
『これは君にしか任せられない重要な仕事なんだ』
『瀬田さんだから任せられるの』
永遠に終わらないと錯覚してしまいそうになるほどの膨大な業務。
無茶な要求と叱責。
怒鳴り声と机を強く叩く音。
『会社の期待に応えられないなんて生きてる価値がないぞ』
『死ぬ気でやれ‼』
『お前のために言ってやっているんだ!』
『この程度で辞めようとするなんて、どこに行っても通用しないぞ!』
疲弊していく体と心。
――私の今までの頑張りは、なんだったんだろう。
錠剤の瓶。
カミソリの刃。
お風呂にはられた水。
そして――
「ホノカっ‼」
気が付けば、私は何かに抱きしめられた状態で倒れていた。
すぐに背後で拘束の呪文が聞こえ、黒い影が姿を消す。
「馬鹿か、お前はっ!」
アリエスの声だ。
地面に仰向けになった状態で上を見ると、彼が四つん這いになった状態でこちらを見下ろしていた。その表情には、強い怒りがにじんでいる。
「なぜ立ち止まった? なぜ逃げなかったっ⁉」
「あ、ははっ……だっていきなりあんな物が目の前に現れたら、誰だって動けなく――」
「違う。お前が諦めたからだ‼」
言い当てられて言葉を失う。
そう。
あの時、私は確かに生きることを放棄した。
変わりたくても変われない自分に絶望したから。
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