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第13話 期待
アリエスは私を引っ張り起こすと、神官たちに一時撤退を伝えて結界の外へと出た。
頭部を覆う結界を解除すると、大きく息をつく。
結界の外には、魔樹の対応を見る人たちで溢れかえっていた。結界から出てきた私たちに、一気に視線が集中する。だけどそんな皆の視線など物ともせず、大きく深呼吸を繰り返しているアリエスに向かって、掠れた声で尋ねた。
「なん、で……? 何で分かったんですか?」
「殺されそうになってんのにお前、笑ってたから」
笑って……た?
私が? あんな怖いモンスターを目の前にして?
私と視線を合わせないまま、アリエスが言葉を続ける。
「以前から思ってたが、お前、人に期待されると無茶してでも応えようとすんだろ。さっきだって、ずっと周りの様子ばっかり伺いやがって……」
「…………」
「何が怖い? 責任は俺が取るって言っただろ。それに言いたい奴には言わせときゃいいんだ」
「……そんな……簡単なことじゃないですよ……」
アリエスらしい発言に、私は喉の奥から声を絞り出すように言った。
彼の言葉はごもっとも。
だけどそんな風に割り切って生きていけるほど、私の心は強くない。
羨ましかった。
この男の強さが。
眩しかった。
私が欲しかったものだったから。
突然、この世界に召喚され、聖女じゃなかったと失望された。
新しい世界で生き直そうと決めたのに、ロクでもない上司にあたって早々今世も詰んだなって思った。
だけど、売り言葉に買い言葉で引き受けてしまった仕事は、思いのほか楽しくて。
メインの仕事をこなせず迷惑ばかりかけている私なのに、クビにすることなく、役に立っていると言ってくれたアリエスの言葉が嬉しくて。
自分が全ての責任を負うからやってみろと背中を推してくれたことが、嬉しくて――
だけど、人はそう簡単に変わることなんてできない。
あなたの言う強さは、私にはあまりにも遠すぎる。
瞳を閉じると、溢れた涙が頬を伝った。
「ホノカ……?」
アリエスの戸惑いの声が、鼓膜を震わせる。
「わたし、は――」
召喚される前、最後に私が見た部屋の景色が思い出された。
机の上に置いた、白い封筒。
そこに書かれた文字は――遺書。
「元の世界で死のうと……していたのです」
*
「……これで、よし」
苦しいのは嫌だ。
だから睡眠薬を用意した。
けど、今の睡眠薬では無理らしい。
だからカミソリを用意した。
周囲が血まみれになるのは嫌だな。
だから浴槽に水を張った。
そして私の言葉――遺書を残した。
私の心身をボロボロにした会社への言葉を。
大学を卒業して就職が決まった会社は、いわゆるブラック企業ってやつだった。
入社して間もないのに、仕事が出来ない、大学で何を学んできたのだと、上司や先輩からの叱責を毎日のように浴びせられる。
お前のためだと、山ほどの業務がデスクに積み上げられた。どう考えても一人ではこなせない作業量だというのに、出来なければ役立たずだと怒鳴られた。
同僚たちはさっさと見切りを付けて辞めていく。
だけどその頃の私はすっかり会社に洗脳されていて、ここを辞めれば次はない、ここで役に立てなければどこに行っても通用しない、と必死にしがみついていた。
上司が怒るのは私のせい。
先輩が山ほどの仕事を押しつけるのは私のため。
この仕事が上手くいったのは、彼らの指導の賜物。
彼らが満足いく仕事をしなければ、私がいる意味はない。
だから役に立たなければ。
先輩の、上司の、会社の、お客様の、期待に、応えなけれ、ば――
誰にも相談できず、相談する人間もおらず、追い詰められていき、元の世界に居場所をなくしていった。
そして――
「死ぬ全ての準備を終えた後、少しだけ仮眠をとったのです。その時、この世界に召喚されました」
「そんなことで? そんなことで死のうと思ったのか? 仕事なんて辞めて逃げることだってできるだろ?」
「そんなことで人が死ねるのが、私が元いた世界なのです」
「じゃあもし……もし聖女召喚がなされてなければ――」
「私は命を絶っていたと思います」
思いとどまる可能性は……低かったと思う。
あのときの私の精神状態は、まともじゃなかったから。
「この世界に召喚されたと知った時、変わりたいと思いました。他人の目なんて、期待なんて気にせず、自分のために生きたいと……だけど、やっぱり無理なんです。会社で言われてきたことが忘れられないんです……期待されると応えなきゃって思ってしまう……」
「俺に対してもか?」
予想だにしなかった問いに、俯き加減だった私の顔が上がった。
目の前の上司の顔をまじまじと見つめてしまう。
アリエスに対しては期待に応えたいとか、そういった焦燥感に駆られることはない。
どうしてだろう。
……あ、そうか。
「……そもそもアリエスさんは私に、期待、しないじゃないですか。何言っても、『いいんじゃね?』としか言ってくれないし……」
「そうだな。お前に期待はしてねえよ。薬草は枯らすし、朝は容赦なくたたき起こしてくるし、上司たる俺にぜんっぜん敬意を払ってくれないし……」
「後半二つは、あなたの日頃の行いだと思いますけど?」
「だからそういうとこだぞ、お前……」
眉根を寄せながら半眼になるアリエス。
しかし不服そうな唇は、両肩から力を抜くと同時に僅かに緩んだ。
「期待はしてねえ。でも……信頼はしてる。お前の仕事に対する姿勢を」
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