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第16話 緊急事態だからな?
私を襲ったのは、死角から襲ってきた魔樹の触手だった。まだ成長途中だったのか細かったけれど、こちらに届くまでの長さはあったみたい。
魔力の供給源を失い、魔法を維持できなくなった私の身体は、当然この世界にもある重力という法則の名の下に、落下するわけで……
「ホノカっ‼」
落下途中の身体が、不意に抱きしめられる。
「あ、アリエス……さ――」
「息を吸い込むなっ‼」
私を空中で受け止め、自身の飛行魔法による浮力を利用しながらゆっくり下りているアリエスが、手で私の口と鼻をふさいだ。
その表情は、焦りで満ちている。
何をそんなに――と思った瞬間、全身から血の気が引いた。
魔石がなくなって解けたのは、飛行魔法だけでなく、今まで瘴気から身を守ってくれていた結果にまで及ぶわけで……
私、思いっきり瘴気を吸い込んでいるんですけど――っ⁉
やばない?
これ、めちゃくちゃやばいんじゃないの⁉
確か瘴気って、吸い込んだら滅茶苦茶胸が痛くなるはず――って、あれ?
逆に私の顔を覆うアリエスの手のせいで息苦しくなり、私は彼の手を無理矢理引き剥がした。私の行動に、こいつ大丈夫か? という戸惑いを滲ませながら、アリエスが声をあげる。
「や、やめろ、ホノカ! これ以上瘴気を吸い込んだら……」
「……平気……なんです」
「え?」
私はアリエスの手を完全に剥がすと、思いっきり瘴気を吸い込んでみた。
……やっぱり!
「瘴気を吸っても私なんともないんです! 苦しくもないし……」
「え? ええええ⁉ ど、どうなって……」
「理由はひとまず置いておきましょう。アリエスさん、魔樹の真ん中に、魔樹本体を見つけました! だけど触手に襲われて、魔石をなくしてしまって、魔法が使えなくなってしまって……」
「魔石を⁉ なら魔力の供給をしないと……」
そう呟いた瞬間、アリエスが私の身体を抱きかかえて後ずさった。
私を咄嗟に助けたため、魔樹の魔法が解けてしまったのだ。私たちの前に、ヌラッとした触手が大きく手を広げる。
それを見て、アリエスは憎々しげに魔樹を睨みつけながら小さく舌打ちをした。
「一旦、引く。体勢を立て直――」
「輝きの円環よ、悪しき存在を抱きなさい」
突如、魔樹を囲むように巨大な光の輪が発生した。輪の内側から光の筋が伸び、魔樹の触手や枝、一本一本を捕らえていく。それこそ、先ほど私を攻撃した細い触手すら、逃さず捕らえていく。あの輪の内側にあるものは、数関係なく、全て拘束の対象になるみたい。
明らかに、先ほどまでアリエスや神官たちが使っていた魔法とはレベルが違う。
この声は……ヴァレリアさま?
アリエスと同じ事を思ったのだろう。
余計なことを、と呟いたけれど、その口元には笑みが浮かんでいた。そして、心配するように眉根を寄せながら、私に問いかける。
「本当に体調は大丈夫なのか?」
「大丈夫です! せっかくヴァレリアさまがくださったチャンスです。このまま続けましょう! でも飛行魔法は、術者本人しか効果が出ないんですよね? 魔石がない以上、魔樹の本体に水をかけることは……」
「……そう、だな」
私が飛ばなければ、魔樹の上から水をかけられない。残念ながら周囲に、魔樹よりも高い建物もなさそうだし、飛行魔法で浮かせられるのは術者本人だけ。
あのとき、私が油断して魔石を奪われなければと、自身の不甲斐なさに嫌気がさす。
でも、自分が決めたことだ。
何度あってチャレンジしてやる。
もう後ろを振り返るもんか!
「ホノカ」
アリエスの声が私の意識を今へと引き戻した。
真剣な眼差しが私を射貫く。
「魔力の供給は、魔石を通じて行うことが一般的だが、方法はそれだけじゃない」
「確かそんな話もしてましたね。魔力を与える方法があるって。なら、その別の方法で私に魔力を分けてください!」
銀じょうろを握りしめながら訴えると、何故かアリエスは一瞬、私から目を逸らした。あー……という意味のない呟き声を洩らすと、
「……き、緊急事態だからな。【はらすめんと】とか言って後で怒るなよ?」
そう言って大きく息を吸い込んだ。
今まで結界によって守られ、表情が見えていた彼の頭部が瘴気に包まれて黒く染まる。
その意味を理解した瞬間、私の全身から血の気が引いた。
頭部が瘴気に包まれるということは、彼が自らを守る結界を解除したことに他ならない。
アリエスを呼ぼうとした私の叫び声は、不意に唇に触れた柔らかさによって、消え去ってしまった。
唇に乗った温もり。
そして普段は決してここまで侵入を許さない場所にある人の気配。
ま、まさか、魔石を使わない魔力の供給方法って――
口移しってことですかぁぁぁ⁉
魔法なんていう非科学的なものが存在する世界なのに、何でこんなに原始的且つ直接的な方法なん⁉
そう思うと同時に、胸の奥が突然熱くなった。
まるで魔法を発動するとき、発生するような魔石の熱のようだ。
もしかしてこれが、この世界の人たちが感じている魔力? 胸の奥に注ぎ込まれた何かが血液と一緒に全身を巡り、身体中が温かくなっていく。
唇から温もりが離れた。
私の両肩が押される。
アリエスは今、私への超直接的な魔力供給のために、頭部の結界を解いている。そのために息を止めているから、言葉を発することはできない。
だけど、私の肩に触れた手から彼の気持ちが伝わってくる。
さあ行け、という言葉なき言葉が――
「この身よ、上へ上へ……高く舞い上がれ」
私の身が、空へと舞い上がる。
銀じょうろの中を満たす水の重さを手首に感じながら、高く高く舞い上がる。
魔樹を取り囲む光の輪が、瘴気の黒の中でも私を導いてくれる。
目下に広がるのは、魔樹の本体。
私に魔樹を枯らす力があるかは分からない。ここまでして貰って、何の効果も出ない可能性だってある。
以前の私なら、何の結果も出せず、周囲の人々から非難や失望されることを恐れていただろう。
だけど今は。
変わりたいと願った今は。
こんな私を信頼してくれる人がいると知った今は――
銀じょうろを傾けると、透明な滴が魔樹の上に降り注いだ。
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