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第18話 銀じょうろの聖女さま
「……辞めませんよ」
「え?」
「辞めないっていってるんですよ! せっかく、私の欠点を長所として生かせる仕事を見つけたし、薬草園の仕事、結構気に入っているんです。それに――」
困惑している彼を見上げて笑う。
「私がいないと、あなたの研究の時間が無くなるでしょ? またお客さんを怒らせて、大切な時間をとられてもいいんですか?」
「……それは、嫌だな」
そう呟くアリエスが一瞬、嬉しそうに口元を綻ばせたのは……気のせいだった?
こうして私は、薬草園で働き続けることを決めた。
そして今は神官寮ではなく、薬草園の管理室でアリエスと一緒に暮らしている。
魔樹の被害が出たとき、一緒の場所にいたほうが伝達が早いというヴァレリアさまの提案の結果だ。
でも今思うと、日々の暮らしが壊滅的に終わってる上司の生活の世話をさせようという、ヴァレリアさまの策略だったんじゃないかって気もする。
優しい顔をして策略家だな、あのお婆ちゃん。
銀じょうろで水をあげながら、胸元で揺れる魔石のネックレスに触れる。
魔石のネックレスのチェーンは、あの後さらに強固なものに取り替えられ、ちょっとやそっとじゃ切れないようになった。思いっきり引っ張ると、逆に私の首が痛くなるほどの耐久性。きっと百人乗っても大丈夫。
アリエスも、安全に私が水を撒けるよう新たな拘束魔法の研究をしているし、もう二度と魔石が無くなるなんていうアクシデントはないはず。
なのに今でも思い出すと、気持ちが酷く乱される。
未だに恥ずかしくて堪らない自分がいる。
なのにアリエスは、全然気にした様子がないのが何だか癪だ。
いやだ、もうなんなの、この気持ち……
思い出したらまた恥ずかしく――
「って、おいホノカ、枯れてる! 他の薬草まで枯れてるっ‼ てか、俺の目の前で、畑全体が枯れてるっ‼」
「え? えええええ⁉」
アリエスの叫びに意識を戻され、私は慌てて銀じょうろの傾きを真っ直ぐにしたけれど、時すでに遅し。
目の前に広がるのは、無残に枯れてしまった薬草畑。
しおしおとリアルアイムで枯れていく姿を見たのは、初めてだ。
お、おかしくない?
だって水がかからないように、魔樹化しそうになっている薬草周辺の植物は、ちゃんと撤去したはずなのに!
っていうか、水がかかっていない普通の薬草まで枯れるって、どういうこと?
もう私が水をあげるとか、関係なくない⁉
目の前の光景を信じられずに見ている私の隣で、特大のため息が聞こえた。
目元を手でおおい、肩を落としているのはもちろん上司。
「ちょっと待てよ……今回は、魔樹化しそうになった薬草の周辺に生えていた植物、全てを避難させたのに、何で畑全体が枯れるなんつーことが起こる!」
「し、知りませんよ‼ 私が聞きたいくらいです‼」
「それに、昨日と全く同じ状況で水をやったのにだ! 一体何が違うっていうんだ……一体……」
アリエスは手を顎にあてながら、ブツブツ呟いている。
確かに、昨日と同じ状況、同じ畑だったはずなのに、何で水をあげた効果が変わってしまったんだろう。
昨日と何が違うのか……
……あ、もしかして、
「……気持ち?」
魔力を口移しされたときのことを、思い出していた……から?
思い出して、何かドキドキしたりむかついたりしていたから?
い、いや、まさか……
……まさかぁ、ねぇ?
「おい、気持ちってなんだ」
「ひゃいっ⁉」
突然、視界がアリエスの顔で一杯になった。
思わず一歩後ずさるけれど、その間に二歩ぐらい間を詰められてしまった。
さらにアップになる彼の顔。
「ち、近い! 近すぎですっ‼」
「お前……もしかして、なんか心当たりがあるのか? 昨日と効果が違うことについて……」
「し、知りませんよ! 何も心当たり在りませんっ‼ ほーら、何も怪しくない」
「……怪しいしかない」
「見てください、この曇りなき眼を! こ、これが嘘を言っている目に見えますか⁉」
両目を見開き、アリエスの瞳を覗きこむ。
目を逸らすな、私!
やられんぞ!
私の鋼の意思を感じ取ったのか、先に瞳を逸らしたのはアリエスのほう。
「目が充血してるぞ。睡眠ぐらいちゃんととっとけ」
そう言ってぷいっと顔を背けると、言葉を吐き捨てた。
心なしか彼の耳の先が赤い気がするけど……気のせい?
そのとき、
「アリエスさま、ホノカさん、街に魔樹が発生したようです!」
慌ててやってきたエリーナさんからの報告に、私たちの表情が真剣なものへと変わった。
真剣だったアリエスの口元が、私を見て意地悪そうに緩む。
「ってことだ。銀じょうろの聖女さま?」
「……そのこっ恥ずかし過ぎる二つ名で呼ぶのは止めてください」
銀じょうろの聖女――これが今、巷で呼ばれている私の愛称だ。
いつでも魔樹が発生しても対応できるよう、銀じょうろを持ち歩いているのが、今ではトレードマークになっているみたい。
ヴァレリアさまが聖女ではないと宣言してくださったけれど、やはり瘴気の中で平気だったり、水をあげるだけで魔樹を枯らす私は、特別に見えるみたい。
あくまで愛称だからと、ヴァレリアさまも禁止はされていない。
期待されている感はあるけれど、今は必死になって期待に応えようという気持ちはない。
心がざわめくこともあるけれど、そのときは無責任な上司になりきって『無理』と呟いている。もちろん、人には聞こえないところでだけど。
でもこれが意外と効果を発揮してくれているみたい。
だから、きっと大丈夫。
今度こそ私は、自分の人生を生きられる。
「それじゃ、行きましょうか。今回もサポートお願いします、アリエスさん」
「ああ、任せとけ」
アリエスが――怠惰でだらしなくて、だけど私を信頼してくれている上司が、満面の笑みを浮かべながら頷く
その笑顔に私も笑顔で応えると、もうすっかり愛用のアイテムとなった銀じょうろを握りしめ、大きく足を踏み出した。
――私は、瀬田穂花。
異世界アリステリアで、魔樹という植物に水をかけて枯らす簡単なお仕事をしています。
上司の性格は無責任で最悪だし、時には危険も伴うし、私の力も未知数でわけが分からないけれど、私はこのお仕事が――
大好きです!
<一先ず 了 >
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